1. HOME
  2. 健康食品
  3. 健康食品制度改革を担うのは誰か 【唐木英明・東大名誉教授寄稿】目指すべき制度を業界自ら提案せよ

健康食品制度改革を担うのは誰か 【唐木英明・東大名誉教授寄稿】目指すべき制度を業界自ら提案せよ

 唐木英明・東京大学名誉教授による寄稿連載「日本の健康食品制度を問い直す」最終回。前回まで11回にわたる本連載では、健康食品の法的位置づけ、4分類制度の複雑さ、機能性評価の課題、「サプリメント」定義の意義と限界を検討してきた。最終回となる今回は、そうした制度上の課題を踏まえ、健康食品制度改革を誰が担うべきかを問う。強いまなざしを業界に向ける著者の思いを伝えて本連載は終わる。【編集部】

 健康食品をめぐる議論は、しばしばその効果の有無から始まる。だがまず認識すべきは、多くの消費者がその効果を実感し、自らの判断で継続的に購入して使用しているという事実である。どのような手段で自身の健康を保つかは、本来、消費者の自己決定に属する領域であり、米国ではこれを「健康の自由」と呼んでいる。

 健康食品の市場規模は約1兆円。アジアを中心とする海外市場では、日本製品への信頼を背景に、なお飛躍の余地が残されている。健康食品は、輸出産業としての潜在力を秘めた戦略的資源ですらある。

 問題は、これらの価値が、いまだ社会のなかに正当な居場所を得ていないことにある。

【国家戦略の不在】

 行政は健康食品を一貫して「あくまで食品にとどめる」という姿勢で扱ってきた。その姿勢は、最近のサプリメントの定義に関する議論でも改めて明確にされた。食薬区分の建前から、健康食品を医薬品ではなく食品に分類することは理解できる。しかし、食品の中に、添加物のような第3の分類が含まれるのと同様に、健康食品も第3の分類として扱うべきという意見は取り入れられなかった。その結果、健康維持・増進に関する表示は、薬機法に抵触しない範囲の「あいまい表示」しか許されない。効果を語れば医薬品的表現とされ、語らなければ消費者に情報は届かない。制度そのものが、事業者をあいまいさのなかに置いてきた。

 そして国はもっぱらリスクを警告し、有効性については語らない。厚労省のパンフレットにある「飛びつく前に、よく考えよう!」というキャッチフレーズがこの姿勢を象徴している。有識者のなかには健康食品を「無効有害」とみなす意見すらある。しかし、あらゆる食品・医薬品は、リスクとメリットの均衡のうえに位置づけられるべきものであり、リスクのみを論じメリットを評価しない姿勢は、政策として片手落ちとの批判は免れない。

【複雑怪奇な制度】

 健康食品の活用に関する国家戦略が存在しないという事実は、制度の欠陥にそのまま表れている。基本設計なきまま建て増しを重ねた結果、健康食品は4種類が並立する複雑な体系となった。特定保健用食品(トクホ)、栄養機能食品、機能性表示食品、そしていわゆる健康食品。この違いを正確に説明できる消費者は、ほとんどいない。

 しかも、4者の間に効果と安全性の実質的な差別化は乏しく、消費者が区別する必要性すら見出しにくい。「国の個別審査を経たトクホだけは別格」という主張は、制度上の手続きと実態上の効果とを混同した議論である。制度が複雑であること自体が、消費者の合理的な選択を妨げ、産業への信頼を損なっている。

【不適切な試験法の義務化】

 歪みは、効果検証の方法にも及ぶ。プラセボ対照試験は医薬品評価のゴールデンルールだが、多くの健康食品の効果判定には必ずしも適さない。健康食品が働きかけるのは疾患ではなく、体調や自覚症状といった連続的で主観を含む領域である。期待効果や生活習慣の交絡が大きく、厳密な差を検出する設計そのものが実態にそぐわない場合がある。

 だから国も健康食品の試験法には、プラセボ対照試験を義務化していない。ところが行政は、Q&Aという行政指針によって、この試験法を事実上義務化している。その結果、本来検出しにくい微小な差を「有意差」として示すために、統計処理の不適切な利用が生じ、批判を招く事態も起きている。これは制度設計の要求が現実に合わないときに現れる、構造的な歪みである。少なくとも、この誤った試験法のQ&Aによる義務化は、早急に見直されるべきである。

制度の歪みの被害者はだれか?

 このような不適切な制度によって、いったいだれが損をしているのか。第一に、消費者である。あいまいな表示のもとでは、消費者は各製品が本当は何を意味するのかを知ることができない。4種類の違いも判然としない。その結果、確かな根拠を持つ製品と、そうでない製品とを見分ける手がかりを奪われ、あるいは過大な期待を抱き、あるいは有用なものまで一括して疑う。制度が明快さを欠くことの最大の被害者は、正しく選ぶ手段を与えられない消費者にほかならない。

 第二に、誠実な事業者である。科学的な裏づけを積み重ね、正直に製品をつくる企業ほど、この制度に苦しめられる。効果を正当に語ることは許されず、他方であいまいさを逆手に取った誇大な表現がまかり通れば、まじめな製品は埋没する。不適切な試験法が義務づけられれば、それに真正面から向き合う企業ほど、本来は差の出にくい対象で「有意差」を求められ、報われない努力を強いられる。悪貨が良貨を駆逐する構造が、制度そのものによってつくられているのである。

 第三に、研究と技術の発展である。 正当な効果表示への道が閉ざされていれば、企業が地道な科学的検証に投資する意欲は削がれる。あいまいな表示でも売れるのなら、費用をかけて有効性を確かめる誘因は働かない。制度の不備は、日本の健康食品科学そのものの成熟を妨げてきた。

 そして第四に、国民全体である。健康食品が科学的な裏づけのもとで健康維持・増進に正しく寄与するなら、それは病を未然に防ぐ予防医療の一翼となりうる。膨張を続ける医療費を抑える可能性を、この産業は秘めている。制度の歪みによってその潜在力が発揮されないことは、社会全体が、本来得られたはずの便益をみすみす取り逃がしていることを意味する。

 つまり、不適切な制度によって利益を得ている者は、実のところ、どこにもいない。あいまいさのなかで一時しのぎの売上を得ているように見える事業者すら、産業全体の信頼低下という形で、長い目で見れば損をしている。この制度は、まさに「勝者なき制度」なのである。 だからこそ、その是正は、特定のだれかの利益のためではなく、関わるすべての者のために追求されるべきものである。

改革を主導しうるのは業界しかない

 こうした諸問題を根本から解決するには、健康食品法(仮称)の制定が必要である。健康食品を法律で明確に位置づけ、その社会的地位を確立したうえで、有効活用のための国家戦略を打ち立てる。それが目指すべき方向である。米国が1994年のDSHEA(栄養補助食品健康教育法)によってサプリメント産業に法的基盤を与えた事例は、1つの参照点となろう。

 では、誰がこの改革を主導するのか。国が自ら消極姿勢を転換する見込みは、残念ながら薄い。とすれば、この改革を担いうるのは、業界をおいて他にない。制度の当事者であり、現場を最もよく知り、その帰趨に最大の利害を持つのは、業界自身だからである。

 もとより、これは容易な道ではない。健康食品に関わる団体は数多く、業態も、規模も、利害も一様ではない。大手食品メーカーもあれば、単品通販企業も、原料メーカーもある。トクホの制度に大きな投資をしてきた企業もあれば、機能性表示に活路を求める企業もある。それぞれの立場が異なるがゆえに、これまで業界としての統一した意思を形づくることは難しかった。

 しかし、だからこそ、いま意思統一が求められている。個別企業の目先の損得を超えて、「健康食品という産業をどう社会に位置づけるか」という一段高い視座に立てば、そこには必ず共通の利益がある。あいまいさのなかに置かれ続けることは、どの企業にとっても損失だからである。

 サプリメント業界の運動によりDSHEAが成立した歴史には参考にすべき点があるので、紹介する。1960~70年代、ビタミン、ミネラル、ハーブ、アミノ酸などを大量に含む製品が普及し、FDAは1973年頃、これらを大量に含む食品を医薬品として扱う動きを見せた。これに対してビタミン業界は「FDAはビタミンを禁止しようとしている」として、Health Freedom(健康の自由)というキャンペーンを開始した。80年代になるとサプリメント市場は急拡大し、業界団体は「薬と同じ規制をさせない」ための活発なロビー活動を展開した。

 FDAはこれに対抗して、1990年、エフェドラ、ハーブ、高用量ビタミンなどの広告を厳しく規制し、特に「疾病を治す」といった表示を認めない姿勢を強めた。さらに複数の商品を「未承認医薬品」として摘発した。これに対して、業界はテレビCM、新聞広告、ダイレクトメールを大量投入した。メッセージは極めて単純で、「FDAがビタミンを取り上げようとしている」だった。これに反応した消費者は議会へ100万通以上とも言われる抗議の手紙を送った(まだメールがない時代だった)。当時、議員事務所は「ベトナム戦争反対運動以来」とも言われる大量の郵便を受け取ったと伝えられている。

 この動きに応じた政治家が2人いた。一人はユタ州選出のハッチ議員だった。ユタ州は現在でも米国最大のサプリメント産業集積地で、多数のメーカーが存在し、地域経済への影響が大きく、ハッチ議員は業界を支援する立場だった。もう一人のハーキン議員は、自らの花粉症がサプリメントで改善した経験を公言し、代替医療を推進する立場だった。この2人が「産業政策」と「健康の自由」という異なる立場から1993年にDSHEAを共同提案し、法案は1994年に上下院を通過、クリントン大統領が署名して成立した。

 この法律の核心は「サプリメントは医薬品ではなく食品」という点だ。したがってFDAは販売前に有効性や安全性を承認する制度を持たない。代わりにメーカーが安全性について責任を負い、FDAは販売後に危険性を証明できた場合のみ回収命令などを出す。つまり医薬品とは逆に、「事前承認」ではなく「事後規制」が原則である。これを参考にしたのが日本の機能性表示食品制度である。ただし、FDAはその後もDSHEAの枠組みを維持しつつ、GMPの強化や有害事象報告制度の導入など、個別の制度改正で安全対策を強化している。

 最近実施された日本のサプリメントの定義は、FDAが行った安全性の強化だけを後追いするものであり、DSHEA誕生の精神である産業政策と健康の自由という考え方は全く、あるいはほとんど存在しない。

それは業界のためだけではない

 紅麹サプリメント事件を契機に、健康食品への規制は厳格化の局面にある。GMPの要件化、健康被害情報の報告義務化、表示の見直し。制度は課長通知のガイドラインから法令へと移りつつある。これを単なる負担増と受け止めるか、それとも制度全体を再設計する好機と捉えるかで、産業の未来は大きく分かれる。

 規制強化の波に受け身で対応するだけでは、負担だけが積み上がり、それに見合う果実、すなわち正当な効果表示の自由や、産業としての社会的承認は得られない。いま必要なのは、業界が自ら前に出て、目指すべき制度の姿を提案することである。

 この改革がもたらすものは、業界の未来にとどまらない。第一に、消費者のためである。制度が明快になれば、消費者は各製品の意味を正しく理解し、根拠に基づいて選べるようになる。あいまいな表示のなかで迷い、あるいは過大な期待を抱くこともなくなる。正確な情報のもとで健康食品を賢く使えることは、消費者のセルフケアを確かなものにする。

 第二に、国の医療費削減につながる道である。高齢化のもとで医療費は膨張を続け、その抑制は国家的な課題となっている。健康食品が、科学的な裏づけのもとで人々の健康維持・増進に正しく寄与するなら、それは病を未然に防ぐ「セルフケア」の有力な一翼となりうる。疾病の予防に貢献する産業を育てることは、医療費という重い負担を軽くする道でもある。健康食品を「食品の周縁」に放置しておくことは、この社会的便益をみすみす取り逃がすことに等しい。

 つまり、健康食品制度の改革は、業界と消費者と国家の利害が、稀なことに一致しうる領域なのである。

【おわりに】健康食品をどう社会に位置づけるか

 この連載記事では、健康食品をめぐる科学、安全性、有効性、制度、そして社会的課題について考えてきた。その根底にある問いは、一つである。

 「健康食品を、社会の中でどのような存在として位置付けるのか」

 それは、「食品か医薬品か」という分類の問題ではない。国民1人ひとりが、自らの健康について主体的に考え、適切な情報に基づいて選択し、その選択を社会が支える仕組みを築けるかどうかという問いである。超高齢社会を迎えた日本では、医療だけで国民の健康を支える時代は終わりつつある。治療に加え、予防、セルフケア、健康寿命の延伸を社会全体で支える仕組みが求められている。その中で、科学的根拠に裏付けられた健康食品が果たし得る役割は、決して小さくない。

 制度は、人を縛るためだけに存在するのではない。人々の可能性を広げ、社会をより良い方向へ導くために存在する。健康食品制度もまた、そのような制度であるべきだ。今、日本に必要なのは、規制を増やすことでも、規制をなくすことでもない。科学に学び、社会の変化を見据え、未来を見通した制度を、自らの手で築いていくことである。

 その第一歩は、「健康食品の規制強化」の議論ではなく、「健康食品を国民の健康づくりの中でどう生かすか」という視点から議論を始めることにある。その議論が始まるとき、日本の健康食品制度は初めて、「管理の制度」から「健康を支える制度」へと歩み始めるのである。

(了)

【プロフィール】唐木英明(からき・ひであき):農学博士、獣医師。1964年東京大学農学部獣医学科卒。テキサス大学ダラス医学研究所研究員を経て87年に東京大学教授、2003年に名誉教授。「食の信頼向上をめざす会」代表を務める。専門は薬理学、毒性学、食品安全、リスクコミュニケーション。

日本の健康食品制度を問い直す【唐木英明・東京大学名誉教授寄稿】
【第1回】何が健康食品の活用を阻むのか 法的定義なき「健康食品」と46通知の壁
【第2回】4分類が生む混乱 保健機能食品の外に残された「いわゆる健康食品」
【第3回】トクホは本当に上位制度か 「国の審査」と「事業者届出」の実質的格差を問う
【第4回】トクホの安全性審査は必要か 制度改革に向けた提言と栄養機能食品の構造的課題
【第5回】健康食品制度は一本化できるか 主要国モデルから考える日本固有の障壁
【第6回】「いわゆる健康食品」をなくせるか サプリメント定義と形状二分論の必要性
【第7回】日本に欠けた健康食品戦略 トクホと米国DSHEA、制度設計の分岐点
【第8回】「無効有害論」は科学的か プラセボ対照試験の限界と健康食品の価値
【第9回】「健康食品の機能をどう評価すべきか 「無効有害論」を超える新たな試験設計日本の健康食
【第10回】サプリメント制度化は終着点か 食衛法の限界から考える健康食品法の必要性日本の健康食
【第11回】サプリメント定義は消費者に届くか 理解の助けに「サプリマーク」の検討を

TOPに戻る

LINK

掲載企業

LINK

掲載企業

LINK

掲載企業

LINK

掲載企業

INFORMATION

お知らせ