東大贈収賄事件、露呈した統治不全 産学連携の陰で進んだ利益供与構造
5月26日、日本の最高学府として国内外から高い信頼を集める東京大学。その権威と公正性を根底から揺るがす事件が、司法の場で一つの区切りを迎えた。(一社)日本化粧品協会(JCA)の引地功一代表理事が、東京大学大学院医学系研究科に設置された「臨床カンナビノイド医学講座」を巡り、担当教授らに対して総額380万円を超える遊興接待を繰り返し供与したとして贈賄罪に問われた事件で、東京地方裁判所は、引地被告に対し懲役1年・執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。
判決が示した「東大の廉潔性毀損」
判決は、東京大学における職務の公正性と廉潔性を著しく損なった行為であると厳しく指摘する一方、引地被告が自ら警察署に赴き事実関係を供述したことなどを情状として考慮し、執行猶予付き判決を選択した。
当日、法廷の傍聴席は8割がた埋まっていた。証言台の前で判決に耳を傾ける引地被告は、裁判官の言葉に合わせて小さく頷きながら、時折うつむく様子を見せた。裁判官は主文の言い渡しに続き、「事件の背景」、「被告人の主張と裁判所の判断」、「量刑判断」について詳細に説明し、最後に被告人へ更生を促す言葉を述べた。
カンナビノイドとは、大麻草に含まれる化学成分の総称であり、代表的なものに「THC」や「CBD」がある。近年は医療・美容分野での研究が世界的に進展している。日本国内でも規制見直しが進む中、化粧品業界では関連製品の実用化・承認取得に向けた動きが活発化していた。今回の事件は、そうした新興分野における産業界の期待と、大学研究機関の権威・裁量権が交錯する中で生じた事件であり、産学連携の制度運用や学術倫理の在り方に深刻な課題を突き付けた。
社会連携講座で接待常態化
発端となったのは、2023年4月1日に東京大学大学院医学系研究科に設置された「臨床カンナビノイド医学講座」である。この講座は、企業・団体と大学が共同研究を行う「社会連携講座」制度を活用して設置された。制度自体は適法な産学連携の枠組みだが、同件では、その運営過程において、利益供与を伴う不適切な関係が形成されていったことが問題視された。
判決によると、引地被告は日本化粧品協会代表理事として、カンナビノイドを含有する化粧品の承認実現に向け、東京大学との共同研究を推進していた。講座の設置・運営・研究内容の選定などに関与していたのが、東京大学大学院医学系研究科教授で東京大学医学部附属病院皮膚科長でもあった佐藤伸一元教授と、同研究科特任准教授だった吉崎歩被告である。
裁判所は、引地被告が両教授に対し、2023年3月~24年8月までの間、繰り返し遊興接待を供与したと認定。接待回数は佐藤元教授に対して28回、吉崎被告に対して30回に及び、供与額はそれぞれ183万952円、196万7,433円、合計約380万円に達した。接待場所は高級レストランや銀座クラブなどだった。裁判所はその内容について「性的な色合いの強いサービスを含むもの」であったと認定した。
同公判で最大の争点の1つとなったのは、「接待強要」の有無だった。引地被告側は、「講座維持や研究継続のため、教授側から利益供与を断れない構造があった」と主張し、自らが被害者的立場にあったと訴えていた。
しかし裁判所は、この主張を退けた。判決では、講座長らとのメッセージ履歴を精査した結果、「被告人の恐怖心をうかがわせる内容は見当たらない」と指摘。むしろ、「被告人の方が積極的に利益供与を行い、担当教授らと癒着していった」と認定し、「常習的に犯行を継続した」と判断した。
「接待強要」主張を否定
裁判所は、接待行為について、「東京大学における職務の公正さや廉潔性を強く害した」と非難した上で、長期間・反復的に行われた犯行であることを重視した。1年余りにわたり58回もの接待を繰り返した点を重く見た。
量刑判断では、引地被告に有利な事情も考慮された。判決は、引地被告が自ら警察署に赴き、関連事実を供述したことが事件解明につながったと評価。また、前科がないことなども踏まえ、「社会内で教訓を得させるのが相当」として、実刑ではなく執行猶予付き判決を選択した。
執行猶予付き判決とは、有罪判決を前提としながら、一定期間内に再犯しなければ刑の執行を猶予する制度である。同件では3年間の執行猶予期間が付されており、その間に再び犯罪行為に及んだ場合、今回の懲役1年も含めて服役を命じられる可能性がある。
東大、統治体制にも批判
今回の事件は、単なる個人犯罪にとどまらず、産学連携制度そのものの透明性や、大学ガバナンスの在り方を問う事件へと発展した。
東京大学では、今年1月に医学部附属病院長が辞任し、総長が1月と4月に2度の記者会見を実施。大学側が設置した「プロセス検証委員会」も、個別教員の問題にとどまらず、組織全体の統治・危機管理体制に課題があったと指摘している。
同報告書では、内部通報への対応不備や初動対応の遅れ、自浄作用の機能不全などを問題視し、「部局間で互いに干渉しない風土」、「危機意識の不足」、「手続軽視の文化」などを背景要因として列挙。その上で、国立大学法人として求められる高い公共性と説明責任を踏まえ、コンプライアンス体制や内部統制機能の強化、組織風土改革などを提言している。
問われる学術倫理と透明性
本件を通じて浮かび上がったのは、研究資金と学術権威、産業界の期待が複雑に絡み合う現代の産学連携の脆弱性である。カンナビノイドという新興分野を舞台に、日本最高峰の大学と業界団体の間で生じた今回の事件は、学術の独立性と研究倫理をどう守るのかという根源的な問いを、社会全体に突き付けるものとなった。
【田代 宏】
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