東大贈収賄事件、刑事初公判(中) 【法廷ドキュメント】権力集中が生んだ接待強要と研究支配の実態
臨床カンナビジオール学講座における研究自体は、CBDを含有するシートマスクの保護作用・抗老化作用を検証するものであり、一定の科学的成果も得られていた。しかしその研究活動の背後で、研究内容の選定が民間機関の要望に沿って行われ、研究成果の周知広報活動が商業的利益の追求と一体化していたという実態は、学術研究の独立性と公正性という根本的な価値を損なうものだった。
研究と商業の一体化が招いた歪み
この事件は、学術界と産業界の連携という現代的な課題に対して、制度設計と運用の両面における厳格な倫理基準の確立が不可欠であることを改めて示している。権威と権力が集中する場所には、それに見合った透明性と監視の仕組みが求められる。東京大学という日本最高峰の学術機関を舞台に起きたこの事件の教訓は、大学という組織のあり方そのものに対する深い問い掛けとして、長く記憶されるべきものである。
日本最高峰の学術機関として国内外に名を馳せる東京大学。その権威の陰で、長期にわたる組織的な腐敗が進行していたとすれば、社会はどう受け止めるべきだろうか。近年、東京大学医学部に設置された「臨床カンナビノイド学講座」をめぐり、大学教授らへの贈賄行為が明るみに出た。被告人となった民間企業の代表理事は、法廷において自らの行為を認めながらも、その背景にある権力構造の歪みと、絶対的な恐怖の下で追い詰められていった経緯を詳細に語った。この事件は単なる贈収賄事件にとどまらず、日本の大学行政と産学連携の在り方そのものに深刻な問いを投げ掛けている。
恐怖で支配された講座設置過程
被告人は、大麻草由来成分であるカンナビジオール(CBD)を活用した化粧品の研究開発に強い情熱を持つ民間人だった。肌の弱い人々でも安心して使用できる科学的根拠に基づいた化粧品を世に送り出したいという純粋な動機から、日本最高峰の研究機関である東京大学医学部との共同研究を熱望した。その思いが実を結び、東京大学皮膚科の佐藤伸一元教授とのオンライン面談にこぎつけたのは令和元年のことだった。
この最初の接触において、佐藤元教授は自らが社会連携講座の設置可否を決定する先端研究調整部会の部会長であることを明かし、承認取得は容易であると豪語した。しかし、その直後に起きた些細な事務的ミスをめぐって佐藤元教授の態度が一変する。激怒した同氏は、一切の説明を聞かずに講座設置を白紙に戻そうとする態度を取ったことで、被告人の心には決定的な恐怖が植え付けられた。この人物の機嫌次第で、自分の夢が瞬時に消え去るという恐ろしい現実を、被告人は身をもって体験したのである。
出来レース化した審査と資金膨張
その後、関係が修復されて講座設置の申請が進む過程においても、佐藤元教授の関与は異常なほど深かった。申請書類の作成においては、審査する側であるはずの佐藤元教授が早朝5時や6時という時間帯に長崎大学時代からの部下である吉崎元准教授を通じて詳細な修正指示を送り、被告人側はその指示に従って書き直すだけという状況が繰り返された。本来、申請を審査・判断する立場にある部会長が、申請者側に対してここまで直接的に関与するという構図は、いわゆる「出来レース」そのものであり、講座設置の公正性が根本から損なわれていたことを示している。
社会連携講座が設置され、共同研究契約が締結された後も、被告人が直面した現実は契約書に記された内容とはかけ離れたものだった。当初、年間3,000万円、3年間で合計9,000万円という契約だったはずが、講座設置後まもなく次々と増額要求が突き付けられた。研究員の追加雇用費用、佐藤元教授の娘を研究員として採用するための人件費、さらには分析センターの運営に関わる機器購入費や家賃など、当初の契約には含まれていなかった支出が次々と上乗せされ、最終的には年間の負担額が7,000万円規模にまで膨れ上がった。その使途について、東大からは明確な説明はなかったという。
接待要求の常態化とエスカレート
さらに深刻だったのは、研究費とは別に発生した接待費用の問題である。2023年2月の会食の席で、佐藤元教授は製薬会社から過去に高級クラブへの接待を受けていたという話を持ち出した。被告人はこれを明確な接待要求として受け取った。割り勘を申し出れば機嫌を損ねて講座が白紙に戻されるという恐怖から、被告人は14万円を超える高級フレンチレストランの費用を全額負担した。その一週間後には、個室のバーや銀座の高級クラブへの要望が吉崎准教授を通じて伝えられ、さらにその数日後には月に2回程度の会食・接待を行うよう求められた。支払いについて引地被告は「まるで流れ作業のようだった」と証言している。佐藤氏らの言動が初めてのことではないかのように同氏のめに映ったということのようだ。
月2回という頻度で計算すれば、接待費用だけで月に40万円~100万円を超える支出が常態化していたことになる。被告人はこれらの費用を、講座の維持と研究の推進を確保するための「必要経費」として認識せざるを得ない状況に追い込まれていた。
性的接待へ拡大した支配構造
事態がさらに深刻な局面を迎えたのは、24年3月のタイ出張がきっかけだった。東京大学の共同研究パートナーが費用を負担したこの出張において、佐藤元教授と吉崎准教授は現地での性的接待を受けた。被告人自身はこれを断ったが、翌朝のロビー集合の場で佐藤元教授が「あんなにきれいな女性を抱けるとは思わなかった」と、「なかなか見たことのない笑み」(引地氏)で前夜の体験を語る姿を目の当たりにした。
帰国後の会食の席で、佐藤元教授は銀座の高級クラブでは身体的な接触ができないことへの不満を口にし、より直接的な性的欲求を満たせる場所への要望を示した。被告人はこれを受け、同7月から吉原の高級ソープランドでの接待を開始した。さらに、佐藤元教授が自宅でのGPS追跡を妻に疑われるようになったことから、接待は夜間から昼間へと変更された。こうして、研究費の支出から始まった金銭的な搾取は、性的接待という新たな次元にまで拡大していったのである。
この間、被告人が負担した費用の総額は膨大なものとなった。研究資材の購入費として6,600万円以上が支出されたが、東京大学側にその使途を問い合わせても一切の回答が得られなかった。研究用機器の購入費を合わせると約8,600万円、その他の接待費や各種支出を含めると、被告人が負担した総額は2億円規模に達したとされる。
恐喝段階への転化と関係の破綻
2024年8月30日、事件が破綻を迎える直前の会食の場で、佐藤元教授の態度は一線を越えた。被告人が持参した誕生プレゼントの品を一顧だにせず、収益化の遅れに激怒した佐藤元教授は、被告人に対して激しい言葉を浴びせ続けた。講座の継続と人事権は自分が握っており、被告人には何の権限もないと宣言し、収益が上がらなければ講座を即座に閉鎖すると脅した。さらには、生命の危険を示唆する言葉を繰り返し口にし、具体的な金銭の要求まで行った。被告人の記憶では、その場で500万円規模の現金を要求されたとされる。
この場面は、それまでの「暗黙の強要」が公然たる恐喝へと変質した瞬間だった。被告人は頭が真っ白になりながらも、ひたすら謝罪を繰り返すしかなかった。翌日には吉崎元准教授と面会し、佐藤元教授への対応について相談したが、吉崎元准教授もまた早く金を持って行くようにと促すだけだった。他の企業もこうした要求に応じているのは当然だという態度で、被告人の置かれた状況の異常さを認識しようとしなかった。
この一連の経緯の中で特筆すべきは、佐藤元教授が自らの娘を研究員として講座に採用させ、その人件費を被告人に負担させていたという事実である。審査する側の権力者が、自分の家族の雇用まで申請者に押し付けるという行為は、権力の私物化以外の何物でもない。
自首が暴いた大学内の腐敗構造
2024年9月、被告人は東京大学への通報と並行して、警察署に出頭した。表向きの目的は恐喝未遂の被害届だったが、被告人は自らの贈賄行為についても包み隠さず申告した。捜査機関がこの事件の存在を把握していなかった段階での自発的な申告であり、法律上の自首の要件を満たすものであったと考える余地もある。しかし、検察側の尋問ではこれが否定されている。
被告人が自首を決意した背景には、これ以上の不当な搾取に耐え続けることへの限界と、自らの行為の違法性に対する認識があった。法廷での証言において被告人は、贈賄という行為が公権力を金銭でねじ曲げる絶対に許されない行為であることを深く認識していると述べた。同時に、研究への純粋な夢を持ちながらも、断る勇気を持てなかったことへの後悔を率直に語り、同様の状況に置かれている研究者や民間人に対して、不当な要求には毅然として断る勇気を持ってほしいと訴えた。
被告人の自首によって、東京大学医学部における組織的な腐敗の実態が初めて捜査機関の知るところとなった。さらに被告人は、他の上場企業からも佐藤元教授側への金銭の流れがあることを捜査機関に明かし、本件を超えた大学内の腐敗構造の解明にも協力した。
検察側は懲役1年2カ月を求刑し、弁護側は懲役1年・執行猶予3年もしくは相当額の罰金が妥当と主張した。弁護側は、本件が自らの利益のために進んで賄賂を供与した典型的な贈賄事件とは本質的に異なり、絶対的な権力構造の下で恐怖に追い詰められた末の行為であるという特殊性を強調した。
一方、検察側は被告人が自己の利益確保のために佐藤元教授らとの関係を積極的に構築しようとした点を指摘し、被告人側の事情を過大評価することはできないとした。
臨床カンナビノイド学講座は2025年3月末をもって閉鎖され、被告人が夢を賭けた研究は結論に至るエビデンスを得ることなく幕を閉じた。2億円規模の資金を投じながら、研究成果も、正当な対価も、何も残らなかったという現実は、被告人にとって法的制裁以上の痛みをもたらすものであろう。
引地被告は今後、母親が運営する社会福祉法人で就労予定で、JCA代表理事も辞任するとしている。今後二度と同じ過ちを犯さないように、「監督する」旨を母親が証言した。
判決は5月26日午前10時、東京地方裁判所706号法廷で下される予定である。
(つづく)
【田代 宏】
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