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神代から令和まで健康食品のルーツを探る~歴史から見えてくる課題は何か?(7)

(公財)食の安全・安心財団理事長 東京大学名誉教授 唐木英明

<歴史時代の医療> 

 文字の記録が残るようになった時代を「歴史時代」と呼んでいるのだが、この時代以後は医療について多くの記述が残っている。例えば、2000年以上前に中国で書かれた黄帝内経や、その後に書かれた神農本草経には、薬による治療と、針・きゅう・あん摩による治療についての記述がある。魔術や呪術は「心の癒し」と言えるのだが、これと並んで「体の癒し」である経験的な医療が少しずつ発達してきたのだ。

<疾病は大陸からやってきた>

 日本では、古事記や日本書紀には疫病が繰り返して発生し、地位の高低に関わらず、多くの人が亡くなったことが記されている。日本にも伝えられた中国医療の知識と技術は、もちろん、感染症の予防や治療には効果がなかったのだ。
 当時は疫病の原因を仏教の受け入れや天皇の失政、祟りや怨霊などのためと考えていたが、実際は大陸との人の交流があるたびに、繰り返して疫病が侵入したのだった。

 当時の医療の様子は、1300年前に作られた大宝律令の中の医疾令に規定されている。中国の制度に倣った医療体系で、そこには大療(内科)、創腫(外科)、少小(小児科)、耳目口歯(耳鼻咽喉科・眼科・歯科)、針生(針灸治療師)、按摩生(マッサージ治療師)、薬園生(薬草の使用、栽培)、女医(産婦人科)の教育について定められている。13~16才の医師の子弟を選び、課目によって4年から7年の教育を行った。毎年厳しい試験を行い、9年で卒業できない者は退学させたという。

<ほとんどが心の治療>

 これだけ見ると、現在の医学教育と大差がないようにも見えるが、もう1つ、現在とは全く違う医療の領域があった。それが道教に由来する「道術」を使って、邪気を払うことで病気の予防と治療を行う役割の呪禁生(じゅごんのしょう)である。修業期間は3年だった。

 そして、これらの教育を受けた医師が体の治療と共に心の治療を行っていた。と言っても、効果的な体の治療があるわけではなく、その大部分が心の治療だった。薬草を取り扱う薬園生はいたのだが、治療効果がある薬草はほとんどなかったと考えられる。さらに、この制度は貴族や役人のためのものであり、庶民の治療ではなかった。

 呪禁生はその後、中国古代の陰陽五行思想に基づく陰陽師に役割を受け継がれた。平安時代の安倍晴明が陰陽師として天皇の命を救い、雨を降らせたことが記録されている。大宝律令には「春の花が飛び散る時期には疫病が流行るので、これを鎮めるために祭りを行う」という記述もあり、疫病を自然現象と考え、神に祈ることで止めることができると考えていたことがよく分かる。

<プロフィール>
1964年東京大学農学部獣医学科卒。農学博士、獣医師。東京大学農学部助手、同助教授、テキサス大学ダラス医学研究所研究員などを経て東京大学農学部教授、東京大学アイソトープ総合センターセンター長などを歴任。2008〜11年日本学術会議副会長。11〜13年倉敷芸術科学大学学長。専門は薬理学、毒性学、食品安全、リスクコミュニケーション。

(つづく)

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