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山笠太郎の健康管理とほほ日記 ~不摂生な私が25年もスポーツクラブに通える理由~(33)

太郎ちゃんの盟友、山田豪太郎クン登場の巻

 さて…こうして改めて今日までの仕事人生を振り返ってみると、小生と同世代で大手食品メーカーに新卒で入社して、小生の様にいきなり陸の孤島、マイナー部門の象徴的存在であった健康食品部門に配属された新人さんって当時(昭和時代)はまずあり得なかったし、ましてや小生の様に、その後紆余曲折…社内転職の如く異動や転勤を重ね支社長という幹部ポストにたどり着くケースなんて稀で、恐らく同世代では小生のみであったと確信している。

 実は小生と同じレアケースの新人さんも存在したが、皆、数年で絶望して転職してしまった(汗)。仮に健康食品一筋の道を歩んだとしても、課長とか次長とか専任部長とか都合の良い肩書をあてがわれ健康食品業界でブイブイいわせつつ定年を迎え「ハイご苦労さん」とフェードアウトしてしまうのがオチだろうなぁって感じが手に取るように想像がつく(苦笑)

 そんな健康食品業界が置かれている立ち位置をよ~く理解した上で、小生の課長昇進や九州支社長就任という節目節目で純粋に小生以上に喜んでくれた、健康食品業界における唯一の「盟友」山田豪太郎クンとのエピソードを何回かに渡り披露していきたい。

 まだ小生が駆け出し健康食品営業マン時代であった20代半ばの頃、まさに磁石で引き寄せられるかの如く幾度も仕事先で出会い、結果、自然の成り行きで酒を酌み交わし親しくなった山田豪太郎クン。

 小生から見た山田豪太郎クンの第一印象は…まさに70年代の典型的あるあるホスト風(笑)ムードコーラス歌謡の生バンドをバックにビシッとしたダブルのスーツを身にまとい、「あらまぁいいオトコね」とばかりにお金持ち有閑マダムや夜の淑女達を毎夜チークダンスで溶かしてしまう夜の銀狐…その物腰の柔らかさとバタ臭い二枚目な風貌は、当時の健食業界にありがちな謎の人物そのものであった。

 しかしその実態は小生が真っ青なほどの大変な大食漢であり大酒呑みだった(笑)。こと女性に対しては第一印象とは真逆で(笑)5歳ほど年上のホントごく平凡な奥さんをとっても大切にしていた男であった。一番驚くべき点は、大学を中退するまではヘビメタバンド一筋で髪を紫やピンクに染めていたというからビックリであった。

 「どーしても」と、半ば強引に(苦笑)山田豪太郎クンのご自宅に招かれた事があった。自らこだわりの味付けと焼き加減でお好み焼きを手際よくひっくり返しながら

 「山笠さん、オレさ、本当はスーツを着たりする仕事とか会社勤めとかが苦手でね、こうしてお好み焼きを仕込んで焼いたりチビチビやりながら酒のおつまみを作ったりするのが好きなんだよね。だから将来の夢は居酒屋の大将なんだ。今の会社の借金を完済して軌道に乗せたらオレ居酒屋のオヤジに転向すっからその時は山笠さんに会社任せるわ。ど~せ大手企業でマイナーな健康食品出身だと出世なんて見込めないでしょ山笠さん、ナハッ」

 山田豪太郎クン、実はかなりの毒舌家でもあった(苦笑)

ノムラヘルス研究所から独立、3度の飯より好きなもの

 そんな山田豪太郎クンに転勤の一報を入れると「すげーじゃん…山笠さんが健康食品で頑張っているの見ていたからさぁ、遂にそこまでいっちゃったぁ…まっ、まっま…ところで今晩空いているぅ?」 

 …結局その晩山田豪太郎クンのホームグラウンドである新宿三丁目の居酒屋で一杯やる事となったのだった(汗)
 
 小生が知り合った頃はノムラヘルス研究所という健康食品メーカーに在籍していた山田豪太郎クン、オーナー社長である乃村社長と大ゲンカの末、会社を追われ、約1年の雌伏の時を過ごした後「亜細亜健康科学研究所」といういかにもな(苦笑)健康食品会社を立ち上げ10年近く経っていた時期でもあった。

 山田豪太郎クンが当初在籍していたノムラヘルス研究所は当時としては一般的な健康食品専門メーカーとして有名百貨店健康食品売り場やドラッグストア等々への販売展開とB to Bである原料供給やOEMの二本立てで事業展開していた。その一方で乃村社長は講習宣伝販売や飛び込みセールス等々、ややもすると荒っぽいシステム販売のネットワーク構築にも注力しており、山田豪太郎クンは乃村社長の片腕としてその事務局業務も担っていた。

 そんなキャリアから結果的に講習宣伝販売において客寄せとして使用する味噌、醤油等の調味料や清涼飲料水…いわゆる「撒きネタ」を扱うブローカーとしてノムラヘルス研究所時代の手下(苦笑)数人を引き連れ亜細亜健康科学研究所を立ち上げたのだった。

 小生が九州に赴任する頃は安定した販売ルートも構築し、自ら講習宣伝販売のメイン商品である高額健康食品や高額化粧品も企画・開発するようになっていた。そしてノムラヘルス研究所にばれないよう、信頼関係を構築していた某講習宣伝販売グループに自社開発高額商品もじわじわと流し始めていた時期でもあった。

 「支社長となると立場上ゴルフ多いっちゃぁ多いわね、送別会と練習兼ねて泊りでゴルフ行こうよ。あっ、それとお祝いに限定100セットの○○プロモデルのアイアンセットをプレゼントしちゃうよってのどぉ~? 20万円はする限定モデルだぜ、さすがに今までみたいにスーパーのバーゲン品の安物ゴルフクラブを使っていると九州で恥かいちゃうからねぇ」

 山田豪太郎クン、実は3度の飯よりゴルフ大好き人間なのであった(笑)                      

(つづく)

<プロフィール>山笠太郎(やまがさ たろう)
三無主義全盛の中、怠惰な学生生活を5年間過ごした後、運良く大手食品メーカーに潜り込む。健康食品事業部に配属され、バブル期を挟み10年。その間に健康食品業界で培った山笠ワールドと言われる独自の世界観を確立。その後社内では様々な部門を渡り歩き47都道府県全ての地に足を踏み入れる事となる。

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