山笠太郎の健康管理とほほ日記 ~不摂生な私が25年もスポーツクラブに通える理由~(35)
まだまだ続くよ、山田豪太郎クンの思い出
こうして改めて振り返ってみると、山田豪太郎クンにとって、九州の大学を中退してから、渡る世間を転々と彷徨った後、健康食品業界の片隅に何とか居場所を見つけ、そして結婚もし、(家族を養うために)ギリギリの所で会社を立ち上げ、必死にもがいていた時に出会った小生の様な一応(笑)一部上場企業である大手食品メーカー所属の堅気で(笑)お気楽な(汗)人生を歩んでいる友人は稀有な存在であったのであろう。
山田豪太郎クンが「ど~しても」と企画してくれた一泊二日での「昇進お祝い兼送別ゴルフ&飲み会」における会員制リゾートゴルフコースの予約等アテンドですっかりお世話になったゴルフ焼けで真っ黒な顔にギョロっと鋭い眼光の原田社長は、小生と初対面での挨拶の際「山田豪太郎クンの特別な友人?」という先入観が刷り込まれていたのか、小生に対して妙に気を使っている感じが滲み出ていた…様な気がした(汗)ある意味ぎこちないというかその挨拶の不器用さ感が、むしろ小生にとっては恐縮至極であった。
そんな中、山田豪太郎クン、唐突に割り込むようにC調なノリで
「あら、原田社長、また日焼けして益々真っ黒になってんじゃん。いったいいつ仕事しているのかねぇ、このおっさんは」と毒舌をかます事を忘れてはいなかった(苦笑)
原田社長は小生より4~5歳年長で中小企業の2代目社長だった。経営する会社はいわゆる化粧品等の受託製造の町工場であった。
10代の頃はヤンキーで単車を乗り回しブイブイいわしていたらしい。同級生だった奥さんもレディースで相当かましまくっていて(苦笑)ご夫妻はその頃からの関係なので幼馴染の夫婦だ。
明るくシャキシャキしていかにもやり手な感じの奥さんは内助の功で実質的に会社をしっかり支えていた。
ご夫妻とも若い頃は腕っぷしの強いヤンキーだっただけあってドライバーはもの凄く飛んだ…(笑)
さて話を初日の原田社長ご夫妻との初対面でのご挨拶~ゴルフスタート時点迄戻そう。いざラウンド開始…となる直前、山田豪太郎クンがまたもやC調なノリで
「原田社長、最近ドライバー飛ばなくなったよねぇ、衰えたんじゃねぇ」的にかまし始めた(苦笑)
するとゴルフの腕前もドライバーの飛距離も一日の長がある原田社長の逆襲(笑)が…
「ところで山田社長、今日のハンディはエブリワンでどうだい…?」
「何失礼な事ぶっこいてんの、オレがボロ勝ちしちゃうよ」
「そ~だよなぁ、山田社長は最近急激にゴルフの腕を上げたって評判だからなぁ、じゃぁそろそろスクラッチでいくかい?」
「ほらまた始まったぁ…俺から巻き上げてど~すんのよ、さんざんこれまでもオレから巻き上げて来たくせにさぁ…頼んますよぉ…ホント」
結局、お二人の丁々発止な「ディール」の結果、ハンディは5で決着したのであった。
しかしながら、小生が思うに山田豪太郎クンにとってはプライドとリアルな実力差との狭間にあって微妙なハンディであったはずなのは間違いない(笑)
ボケと突っ込み…。小生、ゴルフスタート前から原田社長と山田豪太郎クンとの間でのゴルフヤンチャトークなやり取りをすぐそばで聞くにつれ、山田豪太郎クンも原田社長ご夫妻の様な気の置けない仕事仲間と出会い、こうして支えられて日々雨風をしのいでいるのだなぁと感じ、少しほっこりした気分になったのであった。
お二方のトークの応酬は若干ヤンチャではあったが(苦笑)プレー自体はズルや汚いプレーは一切なかった事は記しておきたい。
そして…さすがにハンディ5での原田社長との真剣勝負?だけあって(笑)プレー中の山田豪太郎クン、珍しくお酒も控えめだった事も併せて記しておきたい(笑)
次回予告…
さて、次回は山田豪太郎クンがそもそもゴルフを大好きになったきっかけとも言える「健康食品業界の遊び人」フクヤマ商事鍋島部長からプライベートなゴルフコンペへのお誘いを小生が受け、せっかくなのでゴルフを始めたばかりだと言う山田豪太郎クンにも声を掛けた結果、小生の自宅に前泊し、二人して参加する事となったゴルフコンペの「あんな事こんな事」なエピソードを中心に、小生が駆け出し純情健康食品営業マン時代の健康食品業界面白エピソードも盛り込みつつ記してみたい。
(つづく)
長期連載「山笠太郎」シリーズの過去回はこちら
<プロフィール>山笠太郎(やまがさ・たろう)
三無主義全盛の中、怠惰な学生生活を5年間過ごした後、運良く大手食品メーカーに潜り込む。健康食品事業部に配属され、バブル期を挟み10年。その間に健康食品業界で培った山笠ワールドと言われる独自の世界観を確立。その後社内では様々な部門を渡り歩き47都道府県全ての地に足を踏み入れる事となる。

