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山笠太郎の健康管理とほほ日記 ~不摂生な私が25年もスポーツクラブに通える理由~(37)

まだまだ続くよ、山田豪太郎クンの思い出

 フクヤマ商事鍋島部長のプロデュース的ノリで始まった、表向きは、火災保険代理店の玉田さん主催のゴルフコンペは定例化し、気が付けば四半期に1回程度開催される様になった。

 「他力本願」…玉田さん、すっかり味を占めちゃったが(苦笑)さすがに回を重ねるごとに人数も減少してきた。鍋島部長もプライベートで色々トラブったりして(苦笑)それどころではなくなりつつあった。

 さらに、追い打ちをかけるかのようにオーナー企業にありがちなフクヤマ商事内部でのプチお家騒動も勃発して身辺がにわかに慌ただしくなり、自然と小生を含め健康食品業界の面々もゴルフコンペからフェードアウトしていった。結果的に元の鞘に収まるというか、元々の玉田さんの火災保険代理店顧客中心のこじんまりしたゴルフコンペへと戻っていったのだった。
 
 そんな中、山田豪太郎クンだけは実にしぶとく(笑)ゴルフコンペに参加し続け、マイホーム購入時や独立して会社を立ち上げる際には、玉田さんの代理店の火災保険にお世話になるほどになっていたのだった。

 そんなゴルフ大好きな山田豪太郎クンは、亜細亜健康科学研究所を設立して数年後、商流も安定し会社が軌道に乗り始めると「えっ、月例なの…?」的にビックリする頻度で(苦笑)ゴルフコンペを頻繁に主催するようになった。

 講習宣伝販売の実働部隊の面々もゴルフは嫌いではないようで(業界的に柄のよろしくない面々も散見されたが)それなりの規模のゴルフコンペとなっていた。そして山田豪太郎クンも馴染みのゴルフ場の営業部長にブイブイいわし始めていた。そんな頃、

 「山笠さん、今度ここのゴルフ場使ってよ、俺が営業部長に言っとくから…」とぶっちゃけメンバーでもないのに相変わらずどこかオラオラ気質で微笑ましく思ったものだ(苦笑)

 しかし、そんな人生のプチ絶頂期?も、はかなくも数年で終止符を打ち、50歳で人生をフェードアウトするまで、ふたたび様々な艱難辛苦を迎える事となった。まさに「人生50年…」であった…(この逸話はまた改めて…)

在りし日の豪太郎クンを偲ぶ

 山田豪太郎クンは、高校をかろうじて卒業すると、何とか九州の大学にもぐりこんだのも束の間…男3人兄弟の長男として父親が残した莫大な借金を背負う事となり、二十歳を前にして「何を求める風の中ゆく」…放浪の俳人、種田山頭火ばりにあてのない放浪へと…。

 そんな中、九州で創業したノムラヘルス研究所に拾われ、東京進出要員、営業開拓も兼ね、先兵として単身東京に送り込まれたのだった。その拠点は、事務所兼住まいでもあった。給料の大半が借金の返済に消える日々であった「放浪の男前」山田豪太郎クンにとっては、家賃ゼロの東京生活は実に魅力的であったのかもしれない。

 そんな苦労人な山田豪太郎クンにとって贅沢スポーツである(苦笑)大好きなゴルフを自らが主催して伸び伸びとやれるなんて、きっと至福の瞬間であったに違いなかった。

 苦労人の山田豪太郎クンとは今でも忘れられないやり取りがある。山田豪太郎クンが独立して1年ほど経った頃の事だった。

 「山笠さん、信用金庫の営業がさぁ、カネ貸すよぉって言うんだわ。融資ってやつね…」

 「すげぇじゃん、良かったね」

 「なんだかさぁ、想像してたより桁が違うんでビックらこいたっつうか…」

 「ど~ゆ~事? 雀の涙みたいな…」

 「それがちゃうんだよね。うちあたりのボロ会社にこんなにカネ貸しちゃってイイの…っていうか、こんなに借りても今のうちの会社じゃぁ使い道ないっちゅう位の額なんだ~ね」

 「マジか」

 「2千万だの3千万だの言われてもさぁ、銀行の担当は業容拡大するにも営業の新規採用もしなきゃならないでしょうし…とか何とか言って、俗に言う先を見据えての運転資金ですよって調子イイ事言うんだけどさぁ…しかも、ふたつの信用金庫から言われてんだよね」

 結局、ちゃっかり借りちゃったのであった。

 設立当時、亜細亜健康科学研究所の事務所は新宿三丁目駅から10分弱の好立地とは言え、まさに新宿路地裏赤とんぼ…ハテ?木造の階段を一段一段昇るたびにミシミシ・ギシギシときしむ音がするほどボロいアパートのウルトラ手狭な(汗)一室に所在していた…。

 しかも事務所の隣の部屋の住人は、波乱万丈な山田豪太郎クンでさえビビる程のおかしな奴らしかった(苦笑)もし小生が信用金庫の担当営業なら、そもそも事務所のドアをノックするのもはばかられる位のボロさの建造物を見た瞬間「ゼッタイ融資なんてありえへん」と口走った事であろう。

 さて、初回の融資を活用し、山田豪太郎クンが真っ先に取り組んだのは、ご近所に所在する6階建ての雑居ビル5階の結構広めな事務所への引っ越しであった(笑)
 
 小生も「今度は大丈夫かいな」と心配して引っ越し早々に新事務所を訪問、出迎えてくれた女性スタッフの安堵の表情を見て取り敢えずホッとしたのを覚えている…。

(つづく)

<プロフィール>山笠太郎(やまがさ・たろう)
三無主義全盛の中、怠惰な学生生活を5年間過ごした後、運良く大手食品メーカーに潜り込む。健康食品事業部に配属され、バブル期を挟み10年。その間に健康食品業界で培った山笠ワールドと言われる独自の世界観を確立。その後社内では様々な部門を渡り歩き47都道府県全ての地に足を踏み入れる事となる。

「山笠太郎」シリーズの過去回はこちら

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