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山笠太郎の健康管理とほほ日記 ~不摂生な私が25年もスポーツクラブに通える理由~(21)【東京編(8)】

野球にまつわる「ザップ」での思い出

 スポーツクラブ「ザップ」には寺原クンという印象的なスタッフがいた。

 体育会系っぽくない黒縁眼鏡に無口で真面目そうな風貌が印象的であった。

 真夏のとある昼下がりの事だ…甲子園での熱戦をトレーニングスペースのモニターでボンヤリ眺めていると「山笠さん、今リリーフで出てきた田中っていう1年生の子、間違いなく将来化けますので注目して観ておいて下さい!モノがちゃいますから」と…そのモニターに映し出されていたまだ無名の1年生は、今を時めく田中将大選手であったのだった。

 今振り返れば流石の慧眼だ。そうして何となく寺原クンとの交流が始まった。

 寺原クン、実は誰もが知っている関西の野球強豪校のエースだった。本人曰く「甲子園はお陰様で2年生の時、先輩に連れて行かせてもらいました…3年生の時は…」と、その瞬間は悔しさを隠さなかった。

 九州の大学で野球を続け、4年生の春には某パリーグ球団のスカウトから「隠し玉として指名考えているから宜しく」と囁かれたものの、肩と肘を故障し現役を断念。結果、故障した経験からスポーツトレーナーの道を目指す事となる。

 寺原クンは「山笠さん、今のボクのトレーナーとしての知識と、日々進化してきている治療法や科学的トレーニングを理解していれば、ボクのケガも完治できたと思ってます…」と、実はトレーナーを目指した寺原クンなりの強い思いがあったのだ。

 その後紆余曲折の末、パリーグ某球団のトレーナーとして契約を果たす事となった。

 しかし…その華やかなプロスポーツの裏側に存在する「大人の事情や人間関係」に嫌気がさしたのか、あっさりと辞めてしまうのだった(汗)。その際、一般受験で六大学の名門大学野球部の門を叩き、大リーガーにまで登り詰め、日本球界に復帰後も第一線で活躍していた苦労人の〇×△選手から「テラ(と呼ばれていたらしい)お前何で辞めるんだよ…」と懇々と諭されたが「ホンマありがたかったす」と結局スッパリ辞めてしまったのであった。

 直後、パリーグの人気球団から当時大学ナンバーワンピッチャーの呼び声が高かった某選手(まだ大学3年生)が実は肘に爆弾を抱えており、専属トレーナーとして面倒見てくれないかとのオファーを内密で受けた。表向きはグループ会社の社員になって…(完全なダミー会社)年収は600万円で?との事だったそうだがそれも断った(苦笑)何とその選手は大学入学時より球団から毎月結構なお小遣いまでもらっており、寺原クン曰く「全部パチンコ代ですわ」との事であった(笑)ある意味ドラフトの闇を知る事となった(苦笑)

 そして流れ流れて?「ザップ」のパートタイムスタッフとして働く事となった…(微妙)

 当時、復活を目指してハードトレーニングに励むスーパースター〇原選手をNHKが取り上げていた時の事だ、小生が「鍛えるには遅きに失した感はあるけど、〇原のカラダ、プロレスラー並みにデカくなりましたねぇ」と問うと「まぁねぇ…150キロ級のストレートに対処する為のトレーニングとは到底思えへんのですけど…もし〇原さんが平均的なプロ野球選手の練習量と節制を新人の頃から積み重ねていれば、とっくに大リーグで4番張ってる位の凄い素質だったのですけどねぇ」結果はどうやら寺原クンのお見立て通りであった。

 さらに、当時、明るいキャラクターとガッツ溢れる投球で人気のパリーグ某投手が故障し、復帰を目指して懸命にリハビリトレーニングに励む姿がNHKのスポーツニュースに美談口調で取り上げられていた時の事だ。

 「山笠さん、テレビのあの姿に騙されたらあきまへんよ。あいつ練習嫌いで有名でして、カメラが回り始めると死にそうな顔してトレーニングし始める奴で(苦笑)成績が上がらん様になるとトレーナーに触ってもらってから痛うなったとか調子悪くなったなんて平気で監督さんに訴えるので、トレーナーも皆近寄らんようになりました」なんて「さもありなん」な裏話も聞かせてもらった(笑)

 そして自然な流れで飲みに行く事になった。当然の如くプロ野球選手の「あんな事・こんな事」ネタで大いに盛り上がったのだった。

 特に、当時若手プロ野球選手の登竜門的場であった黒潮リーグでの若手有望選手の裏ネタでは大いに盛り上がった。結果、以前キャバ嬢ユカから聞いた、ホテルに連れ込まれ襲われそうになって「思いっきりハイヒールで股間を蹴り上げて逃げた」って言うネタの裏取りもできたのだった(笑)

(つづく)

<プロフィール>山笠太郎(やまがさ たろう)
三無主義全盛の中、怠惰な学生生活を5年間過ごした後、運良く大手食品メーカーに潜り込む。健康食品事業部に配属され、バブル期を挟み10年。その間に健康食品業界で培った山笠ワールドと言われる独自の世界観を確立。その後社内では様々な部門を渡り歩き47都道府県全ての地に足を踏み入れる事となる。

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