永井克也大阪大名誉教授に聞く(1) 学生運動も後押しをして基礎研究に没頭
大阪大学名誉教授・医学博士の永井克也氏は、自律神経と体内時計に関する研究の第一人者として知られる。医師として患者を診る傍ら、㈱ANBAS(大阪市北区)の代表として生活リズムの体内時計も関係する「自律神経による生理機能調節」を明らかにするための動物試験なども受託している。永井名誉教授の仕事場を訪問し、自律神経の研究に携わるきっかけとなった出来事、思い出の研究などについて聞いた。
――研究に携わったきっかけは?
永井 私が大阪大学の医学部を卒業したのが昭和42年(1967年)です。国家試験を受けて医師になるには1年間のインターンを経験しなければならない。ところがその頃、全国の大学医学部でインターン制度反対闘争が起きていましてね。ですから、東京大学、京都大学、大阪大学の医学部の学生たちは国家試験のボイコット運動をしていたのです。
――東大の安田講堂攻防戦につながる学生運動ですね。
永井 まさに青医連(青年医師連合)運動が発端です。要するに、インターンでタダ働きだと給料もなしに当直させられたりする。それらに反対した運動です。最終的にそれが発端になって東大などは暴力的になりましたけど、基本的には青医連運動が発端だったのですね。
阪大は東大や京大ほどアクティブではありませんでした。私は一応、1年間の研修を終えた後に国がインターン制度廃止した後の国家試験を1年下の学年と一緒に受けたのです。新しい国家試験、インターン制度じゃなくて研修制度に則ったかたちの試験ですね。それで私はその後、研修医にはならずに大阪大学大学院医学研究科博士課程に入ったのです。1968年に入りました。
つまり、国の方は67年にボイコットが始まったものですから困ってしまい、翌年にインターン制度を廃止して特別に6月に医師国家試験を実施したのです。ですから私の医師免許登録日は9月になっておりまして、クリニックの医師の就任時に「こんな日付は珍しいですね!」と言われました(笑)。我々の年代の医師だけは、みんな9月付の医師免許を持っています。
大学院での4年間の博士課程では、ラットを用いた哺乳類の代謝調節の研究に入ったわけです。
――どういう研究を?
私のテーマは「寒冷環境下における肝臓における糖新生」という、肝臓で乳酸やアミノ酸から糖(グルコース)を作るメカニズムの研究でした。糖を分解するのは解糖系で糖を作るのは合成系(糖新生系)なのですが、糖新生系の酵素の内で最も活性が低い酵素の活性を指標にした研究を行いました。
今ではもう、遺伝子のメッセンジャーRNAの量の変化を測定したら済むのですが、当時は動物をと殺して肝臓を取り出して、緩衝液などを加えてすりつぶします。それを遠心器にかけて上清を採取して、その酵素液を基質と一緒に混ぜて、37℃でインキュベーションして酵素反応を起こして、反応を酸などと加えて停止させて、別の酵素を用いて反応させて出来た産物を測定するという一日仕事でした。
それをやって、要するに5℃の寒い部屋に置いた動物と、25度ぐらいのいわゆる動物室に置いた動物の肝臓の糖新生酵素の活性の変化を測定したわけですね。そしたら寒冷に暴露してもう3時間とか6時間ぐらいでその活性が上がってくるわけです。コントロール(対照室温群)と比べてずっと上がっていくことが分かったのですが、コントロールの室温(25℃)に置いた動物の酵素活性には日周リズムがあったのですよ。それで体内時計の研究にも入りました。
(つづく)
【聞き手・文:田代 宏】
(冒頭の写真:学生時代を回顧する永井名誉教授)
関連記事:永井克也大阪大名誉教授に聞く(2)
<筆者プロフィール>
1943年2月10日生
1967年3月 大阪大学医学部卒業(1968年医師免許)
1972年3月 大阪大学大学院医学研究科博士課程修了(医学博士)
1967年4月〜1968年3月 大阪大学医学部附属病院研修医
1972年4月 大阪大学蛋白質研究所助手(代謝部門)
1974年8月〜1976年10月 米国シカゴ大学関連病院客員博士研究員(内科、主任L.A.Frohman教授)
1977年4月 愛媛大学医学部助教授(生化学第二)
1980年4月 大阪大学蛋白質研究所助教授(代謝部門)
1995年12月 大阪大学蛋白質研究所教授(代謝部門)
2000年4月〜2004年3月 大阪大学蛋白質研究所所長
2006年3月 定年退職(大阪大学名誉教授)
2007年4月 ㈱ANBASを設立。現在に至る。
<所属学会•協会>
日本肥満学会(名誉会員)、国際時間生物学会(理事)、
NPO法人 国際医科学研究会(理事)、
(一社)サイエンティフィックアロマセラピー協会(代表理事)