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神代から令和まで健康食品のルーツを探る~歴史から見えてくる課題は何か?(9)

(公財)食の安全・安心財団理事長 東京大学名誉教授 唐木英明

<世界を震撼させた天然痘>

 江戸時代は、西洋医療が日本に入ってきた時代でもあった。そのなかで、最も効果があったのが天然痘の治療である。

 天然痘はウイルスによる病気で、患者は体中に発疹ができて化膿する。肺にも膿疱ができて、呼吸困難になり、患者の半数が死亡する。治癒すると免疫ができて2度と感染しないのだが、体表に多数の瘢痕が残る。

 古くから知られている病気で、紀元前1,100年代のエジプト王・ラムセス5世のミイラには天然痘の痘痕が認められた。日本には仏教とともに侵入し、たびたび流行を繰り返して恐れられていた。

<西洋医学への関心を広めた「種痘」>

 この天然痘を治療する手段がワクチンだった。

 1796年に英国の医師エドワード・ジェンナーが牛の病気である牛痘の膿を子どもに摂取したところ、天然痘を予防することを見つけた。この「種痘」が世界中に広がり、日本にも1849年に輸入された。明治政府は幼児への種痘を義務化し、多くの人が免疫を獲得した結果、1955年に日本で、1980年に世界で天然痘は絶滅した。

 江戸時代の人にとって種痘は魔法のような方法であり、西洋医療への憧れが一気に広がった。

<絶滅した天然痘ウイルス>

 こうして天然痘ウイルスは、人類が根絶に成功した最初の病原体になった。だから、このウイルスは自然界には存在しない。

 しかし、米国疾病予防管理センターとロシア国立ウイルス学生物工学研究センターには保存されているという。現在の人間は誰も免疫を持っていないので、もしウイルスが外界に出ると、現在の新型コロナとは桁違いの大惨事が起こる。保管は厳重に行われていると信じたい。

<「解剖」を禁止した江戸幕府>

 それより少し前の話だが、江戸時代の医者に衝撃を与えたのが、オランダの解剖学の教科書「ターヘル・アナトミア」だった。人体の内部を知ることは、医者としての常識だけでなく、病気の原因や治療法を知る上でも重要なのだが、日本には解剖学という学問がなかった。

 また江戸幕府は人体の解剖を禁止していたため、医者は中国の書物などで体内の様子を学ぶだけだった。1771年、幕府の許可を受けた杉田玄白らが、罪人の処刑場だった小塚原(荒川区南千住)で腑分け(解剖)を行った。そしてターヘル・アナトミアが正確であることに驚き、苦労してこれを翻訳し、1774年に「解体新書」を出版した。それ以来、蘭学、すなわち西洋医学を学ぶ医者が多くなったという。

 なお、幕府が腑分けを禁止していた理由は、処刑場の作業員が死刑囚の遺体から臓器を取り出して、薬として売買することを阻止するためだったという。

 現在でも熊の胆、オットセイの睾丸、鹿の角、マムシ、タツノオトシゴ、オオヤモリなど、多くの動物の組織が生薬として使われているが、当時は人の組織はもっと効果があると信じられ、高値で取引されたという。不老長寿を願う人間の欲望は際限がないといえよう。

<プロフィール>

1964年東京大学農学部獣医学科卒。農学博士、獣医師。東京大学農学部助手、同助教授、テキサス大学ダラス医学研究所研究員などを経て東京大学農学部教授、東京大学アイソトープ総合センターセンター長などを歴任。2008〜11年日本学術会議副会長。11〜13年倉敷芸術科学大学学長。専門は薬理学、毒性学、食品安全、リスクコミュニケーション。
(つづく)

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