山笠太郎の健康管理とほほ日記 ~不摂生な私が25年もスポーツクラブに通える理由~(29)【東京編(16)】
(前回からの続き)太郎ちゃん、身バレ覚悟?
小生が健康食品課長に就任したタイミングは、どこの会社でもありがちな社内の「天の声?」により、赤字続きの家庭用食品部門においてはスーパーの安売り合戦とは無縁な利益率の高い健康食品の販促活動にももっと注力しなさい!との厳命から、なんと健康食品に広告宣伝費をガバッと振り分けて頂けるという暴挙…もと~い、涙ちょちょ切れんばかりの快挙を達成する事が出来た時期でもあった。
そんな中、健康食品について社内で一番詳しい的レッテルを勝手に貼られてしまった太郎ちゃん(汗)
結果、営業のみならず需給から開発、販促や広告宣伝の企画立案からCM撮影の立ち合い、さらに某健康食品専門卸の取引先メーカー代表幹事役も仰せつかったり、新米営業課長なのに何足も草鞋を履かなければならなかった。
気が付けばテレビCMにカメオ出演するわテレビ局の生コマーシャルに出演するわCMのメイキングビデオの主役になっちゃうわ(苦笑)
とても営業のイチ課長では味わえないさまざまな経験をさせてもらった。言い方を変えれば野放し状態な(笑)課長時代であった。
そんな経験の中から、今回は、当時異業種から颯爽とトクホ市場に参入し、あっという間に食品業界を席巻、一大ムーブメントを巻き起こしていたZ社のT担当部長との不思議な夜の交流について話してみたいと思う。
そもそもZ社Tさんとの出会いは「健康食品については社内で一番詳しい専門家」との大きな誤解から(汗)大手食品メーカー約30社の研究開発部門からなる集まりである●●●会の理事として社内研究開発部門から白羽の矢がたった事がきっかけであった。
そこはトクホの中枢だった
やや気乗りのしないまま第1回の会合に参加した小生。Tさんは事務局長であった。小生、「さすがZ社。大手食品メーカーが揃ったこの集まりにまで手を突っ込んできたんだぁ」と素直に感心したものだ。
会合での大手食品メーカーの大半は研究開発部門や生産管理等の技術系の人材を送り込んできていたが、一部メーカーは法務部門の管理職を送り込んできており、まさにトクホを睨んだ対応と推察された。
会合は毎月1回、千代田区内のレンタル会議スペースで実施された。
議事進行を仕切る役回りのTさん、こもった声でしかもボソボソと話すので話しの半分は聞き取れなかった(笑)。
天下のZ社のトクホ開発、陰の立役者・中心人物と言われていたTさん。小生からするとキレッキレのイメージを連想していたのだが、何とも拍子抜け…ある意味ひと安心というか、不思議と親しみやすさすら感じてしまったコテコテ文系営業マンの太郎ちゃんがいた(苦笑)。
毎回会議終了後、「行ける方で軽く一杯行きますか?」と、余程の予定がない限り飲み会を設営してくれるのがTさんであった。実は飲み会大好きだったのだ。
ある定例会議の時の事だ、トクホ申請における行政対応等の話題の流れからトクホ申請まで時間とコストがかかり過ぎるのではないか的な意見が某メーカーから出た。
小生、妙な反射神経を発揮し(汗)場違いな軽いノリで「トクホ取得コストは業界的にザックリ1億円と言われておりますが、見方を変えれば1億円の販促宣伝費だと割り切って捉えれば…」と意見を述べた。その瞬間、何故か大きく頷くTさんの顔がチラッと目に入った。
「なんぼもらってるの?」
会議終了後いつもの中華料理屋で一杯やっていると、おもむろに「山笠さん、おたくおもろい事言いはるわぁ」と実は関西のノーベル賞を日本一輩出している国立大学出身だったTさんに囁かれた。そしてTさんとはそれから毎月定例会後、半ば強引に二次会に誘われ、都内でもこんな店があるのかという程の場末のスナックへと流れて行くようになった(笑)
何故か毎回緑茶割りなのが笑えた。このスナック。Z社研究開発部門御用達らしく、Tさんは酔っぱらっちゃうと会社で確保しているウイークリーマンションに泊まっちゃうのが常であった(笑)裏を返せば相当激務な日々なのだという事を垣間見る事ができた。
Z社は矢継ぎ早にトクホ商品開発に取り組む必要性から、常に製造委託先探しでキャラバンを組んで全国行脚しており、その為には品質管理の分かる食品メーカー管理職クラスを大量にヘッドハンティングする必要があった。しかも担当部長のTさんの独断で人材を採用できたのだった。Tさんは飲み会で小生の隣に座ると
「山笠さん、なんぼもらってるの。うちは山笠さんクラスならこれしか出せへんけれど魅力あるかなぁ」
とおおよそ当時(20年強前)の大手食品メーカーのライン課長の年収の200万円程度上の額であった。さらに、
「中州食品工業さんのライバルメーカーの課長さんうちにいれたばかりなのよ、だからスグには難しいんだよね…」
「何このおっさん酔っぱらってとぼけた事ほざいてんのかな」程度にしか気に留めていなかった小生。そして●●●会も任期の2年が経ち、会長以下の理事会社での定時総会後の慰労会での事だ。偶然なのか小生の隣の席に座ったTさん。小生が九州支社長として福岡へ転勤する事を告げると「そうかぁやっぱり会社としては山笠さんを囲い込むよな…」と妙に悔しがっていた。
「えっもしかして年収がどうのこうのって本気印のほざき話しだったの?」と内心ビックリしたのと同時に「このおっさんもうちの社内の面々と同様、大いに誤解してるぜ」とほくそ笑む太郎ちゃんがいた(苦笑)。
(つづく)
<プロフィール>山笠太郎(やまがさ たろう)
三無主義全盛の中、怠惰な学生生活を5年間過ごした後、運良く大手食品メーカーに潜り込む。健康食品事業部に配属され、バブル期を挟み10年。その間に健康食品業界で培った山笠ワールドと言われる独自の世界観を確立。その後社内では様々な部門を渡り歩き47都道府県全ての地に足を踏み入れる事となる。











