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求められる包括的な法整備(前) 【寄稿】健康食品制度の重大な欠陥と改善案

東京大学名誉教授 唐木 英明

 健康志向の高まりを背景に、日本の健康食品市場はいまや1兆円を超える規模に拡大している。しかしその一方で、制度面の整備は追いつかず、複雑で矛盾を抱えたまま。唐木英明東京大学名誉教授は、現行制度の根本的欠陥を明らかにし、新たな「健康食品法(仮称)」の創設を提案する。その課題と解決への道筋を前後編で探る。

はじめに
 日本の健康食品市場は、消費者の強い健康志向を背景に、市場規模が9,000億円から1兆円超と推定される巨大産業へと成長した。しかし、その活況の裏側では、規制当局の哲学そのものが断片的で矛盾に満ち、規制制度に大きな欠陥が生ずるという深刻な問題が横たわっている。具体的には、次の6つである。第一に、健康食品そのものを定義し、その社会的役割を規定する基本法が存在しない「立法の空白」。第二に、科学的根拠のレベルが異なる4種類の制度が乱立し、消費者に理解不能な「複雑怪奇な制度設計」。第三に、行政や医療界が「健康食品は不要」という姿勢を示しながら、巨大市場の存在を黙認するという「公式見解の矛盾」。第四に、「健康食品は効かない」という結論を導き出すように設計された「評価手法の誤謬」。第五に、過去の規制緩和が原因となって生じる「安全性の隙間」。第六に、問題の真の原因から目を背ける「改革議論の不毛」である。これらは独立した課題ではなく、相互に関連するものであり、また現行制度の部分的な修正では解決には至らない。公衆衛生と消費者の自己決定権を守るためには、一貫した哲学に基づく包括的な法整備、すなわち「健康食品法(仮称)」の創設が不可欠である。

1 立法の空白:基本法なき健康食品規制の現状

 健康食品規制における根源的な問題は、対象となる「健康食品」を定義し、その社会的意義、機能性、安全性、そして消費者への情報提供のあり方を統合的に規律する基本法が存在しないことである。現状の規制は、他目的のために制定された複数の法律を断片的に適用する「代用規制」に過ぎず、国家としての明確な政策ビジョンを欠いている。この状況は、独自の哲学に基づき体系的な法制度を構築した諸外国の動向とは対照的である。

日本の現実:代用による規制
 日本の健康食品は、複数の法律の条文を継ぎ接ぎする形でかろうじて規制されている。中心的な役割を担っているのは食品表示法だが、これはあくまで食品に関する表示を認める法律であり、健康食品そのものの定義やカテゴリーを規定するものではない。一方で、食品衛生法が一般的な食品としての安全性を担保する。しかし、これらの法律はいずれも「健康食品」という特殊なカテゴリーを念頭に設計されたものではなく、結果として、その社会的役割や適切な利用方法、産業育成といった積極的な側面に関する規定は完全に抜け落ちている。
 この場当たり的なアプローチの背景には、健康食品は基本的には不要という考え方があり、国民の健康維持・増進やセルフメディケーションは市販薬(OTC医薬品)で十分であり、健康食品をこれに利用しようという発想がないという事実がある。だから規制は、表示の許可と禁止という消極的な側面に終始し、消費者を保護し、良質な製品を育成するための積極的な枠組みを構築するという前向きの視点が決定的に欠けているのである。

米国のDSHEA
 米国の1994年栄養補助食品健康教育法(Dietary Supplement Health and Education Act: DSHEA)は、日本とは対照的に、明確な目的意識を持って制定された基本法である。DSHEAは、「栄養補助食品」を法的に定義し、それが国民の健康増進と疾病予防に寄与し、ひいては国家の医療費削減に貢献しうるという、セルフメディケーション分野における積極的な役割を認めている。
 DSHEAは、表示に関して二元的な規制を設けている。1つは、身体の構造や機能への影響を表現する「構造・機能表示」であり、これは販売開始後30日以内の食品医薬品局(FDA)への届出を義務付ける事後管理型である。もう一方は、疾病リスクの低減効果など、より強い効果を示唆する「健康表示」であり、こちらは「科学的合意」に基づく厳格な事前審査を必要とする。
 最も重要な点は、DSHEAが単なる規制法ではなく、その名が示す通り「教育法」であるという点だ。その根底には、消費者に正確な情報を提供し、自らの健康について情報に基づいた選択ができる、すなわちセルフメディケーションができるようにするという思想がある。これは、許可と禁止に終始する日本の規制思想とは根本的に異なる、消費者主権を重視するとともに、公衆衛生の推進も視野に入れたアプローチである。

欧州連合(EU)の安全性第一の規制
 EUの規制体系は、消費者保護を最優先課題とする、重層的かつ体系的なものである。その中核をなすのは、食品サプリメント指令(Directive 2002/46/EC)と、全ての食品の表示を規律する栄養・健康強調表示規則(Regulation (EC) No 1924/2006)である。
 EUのシステム全体が一般食品法規則(Regulation EC No 178/2002)によって確立された「安全第一」の原則に貫かれている。特に健康強調表示に関しては、欧州食品安全機関(EFSA)による科学的評価を受け、認可されたもののみがポジティブリストに収載され、使用が許可されるという事前審査制度を採用している。これは、事業者の自己責任に委ねる米国の制度とは、その思想的基盤において対照的である。

ASEANの市場統合に向けた規制調和
 東南アジア諸国連合(ASEAN)は、域内の貿易における技術的障壁を撤廃し、単一市場を形成することを目的として、「健康補助食品(Health Supplements)」に関する規制の調和を推進している。
 この取り組みは、安全性、品質、表示、適正製造規範(GMP)などに関する共通の技術要件やガイドラインを策定することを目的としている。具体的には、禁止成分を定めた「ネガティブリスト」の策定など、明確で予見可能性の高いルール作りが進められている。まだ途上ではあるが、ASEANのモデルは、経済統合という明確な目標に向かって、関係国が協調して一貫性のある規制環境を構築しようとする積極的な姿勢を示し、硬直的で断片的な日本の制度とは好対照をなしている。
 この国際比較が示すものは、単に日本に法律がないという事実だけではない。米国が「消費者の選択と教育」、EUが「科学的根拠に基づく消費者保護」、ASEANが「健康食品市場の調和」という明確な政策哲学を持つのに対して、日本には健康食品を国民の健康資産としてどのように位置づけるかという国家戦略が不在であることを示している。

2 複雑怪奇な制度設計:4層構造の制度とその帰結

 日本の健康食品制度は、その複雑さにおいて世界に類を見ない。科学的根拠のレベルや政府の関与度が全く異なる「特定保健用食品(トクホ)」「栄養機能食品」「機能性表示食品」、そして一般食品である「いわゆる健康食品」という4つのカテゴリーが乱立している。

消費者に課せられた不可能な責務
 この4層構造は、消費者に対して極めて高い情報リテラシーを要求する。しかし、これらの差異を消費者が正確に理解し、区別することは不可能に近い。政府が「消費者はこれらの違いを理解すべき」と主張するのは、規制当局としての責任放棄に他ならない。消費者を保護するためにあるべき制度が、逆に消費者を混乱の渦に巻き込んでいる。このような複雑怪奇な分類システムを国民に強いている先進国は、日本をおいて他に存在しない。
 この制度がもたらす問題は、単なる混乱に留まらない。4つのカテゴリーは、それぞれ科学的根拠のレベルが大きく異なるにもかかわらず、市場では同じ「健康食品」として陳列される。その結果、消費者の目には、4種類の健康食品が、同等の信頼性を持つかのように映ってしまう。 
 このシステムは、事業者が最も規制が少ない道を選ぶ「規制のアービトラージ(裁定取引)」を助長する。その結果、トクホの数が減少しているのに比べて、機能性表示食品の数は大きく伸びている。結論として、この4層構造は消費者を混乱させるだけでなく、市場全体の信頼性を希薄化させ、質の低い製品の温床となる構造的欠陥を抱えているのである。

3 公式見解の矛盾:「健康食品不要論」と市場の現実

 日本の健康食品規制を特徴づけるもう1つの深刻な問題は、規制当局や医療専門家集団が「健康食品は不要」というメッセージを発信し続けている一方で、1兆円規模の市場の存在を事実上放置しているという、根本的な矛盾である。「不要論」の背景には、日本の医薬品行政の根幹をなす「食薬区分」という厳格な二元論があり、この思想が建設的な規制体系の構築を妨げている。

「不要論」という公式見解
 厚生労働省が公開している「いわゆる『健康食品』の正しい利用法」と題されたパンフレットは、その冒頭で「飛びつく前によく考えよう」と警告し、その内容は健康食品がもたらしうるリスク(過剰摂取、医薬品との相互作用、品質の問題等)を列挙することに終始し、その有効性や便益については一切言及していない。これは、行政が健康食品に対して持つ、懐疑的で否定的な姿勢を象徴している。
 この姿勢は、日本医師会や食品安全委員会といった他の機関にも共通している。日本医師会は「健康食品はくすりの代わりではない」「『食品だから安心』は誤解」と繰り返し警告している。食品安全委員会もまた「『食品』であっても安全とは限らない」「大量に摂ると健康を害するリスクが高まる」と主張している。これらのメッセージに共通するのは、健康食品を「不要かつ潜在的に危険なもの」と見なす視点である。

思想的根源:「食薬区分」という二元論
 この懐疑論の根底には、規制哲学の根幹をなす「食薬区分」という二元論が存在する。これは、人が経口摂取するものを「食品」と「医薬品」のいずれかに分類し、中間的なカテゴリーを認めない考え方である。この二元論の下では、「食品」が疾病の治療や予防効果を表示することは違法になる。もし効果があるのならば、それは医薬品として承認されるべきである、という論理である。この思想が、食品成分が持つ健康維持や疾病予防といった機能性を認めることへの強い抵抗を生み出している。

市場と消費者の現実との乖離
 行政・医療界の「不要論」は、市場と消費者の現実から著しく乖離している。健康食品市場は巨大な経済圏を形成しており、2023年度の国内市場規模は9,050億円に達し、将来的な成長も見込まれている。また、輸出も増加傾向にある。
 さらに重要なことは、消費者が自らの健康を主体的に管理する「セルフメディケーション」への意識が急速に高まっていることである。調査によれば、「セルフメディケーション」という言葉の認知度は74.2%に達し、一部の市販薬を医療控除の対象にする税制の利用意向も高い水準にある。これは、国民が日々の健康維持のために自ら行動し、その手段として健康食品を活用したいという強いニーズを持っていることを示している。
 この状況は、深刻な政策的矛盾を生んでいる。一方では、政府は健康食品の価値を否定し、リスクのみを強調する。しかし他方では、消費者はその必要性を強く感じ、巨大な市場がその需要に応えている。この乖離は、単なる見解の相違ではない。政府の「不要論」は、結果として危険な「規制の空白」を生み出している。
 本来、規制当局の役割は、市場の現実を直視し、消費者が安全かつ有効に製品を利用できるようなルールを整備することにあるはずだ。しかし、「不要」というスタンスに固執することで、当局は品質管理、有効性評価、適切な情報提供といった、市場を健全に導くための積極的な規制構築を怠ってきた。その結果、消費者の需要が存在するにもかかわらず、その市場は、質の低い製品など、リスクの高い環境のまま放置されている。行政の消極的で矛盾した姿勢は、公衆衛生を守るという本来の責務を放棄し、消費者を危険に晒しているのだ。

(つづく)

<プロフィール>
唐木英明東京大学名誉教授(食の信頼向上をめざす会代表)
1941年生。農学博士、獣医師。1964年東京大学農学部獣医学科卒。テキサス大学ダラス医学研究所研究員を経て、87年に東京大学教授、同大学アイソトープ総合センター長を併任、2003年に名誉教授。日本薬理学会理事、日本学術会議副会長、(公財)食の安全・安心財団理事長、倉敷芸術科学大学学長などを歴任。専門は薬理学、毒性学、食品安全、リスクコミュニケーション。これまでに瑞宝章(中綬章)、日本農学賞、読売農学賞、消費者庁消費者支援功労者表彰、食料産業特別貢献大賞など数々の賞を受賞。
「食品安全ハンドブック」丸善2009、「検証BSE問題の真実」さきたま出版会2018、「鉄鋼と電子の塔(共著)」森北出版2020、「健康食品入門」日本食糧新聞社2023、「フェイクを見抜く(共著)」ウェッジ2024など著書多数。

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