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山笠太郎の健康管理とほほ日記 ~不摂生な私が25年もスポーツクラブに通える理由~(27)【東京編(14)】

「太郎ちゃん、仕事人生を振り返る」の巻

 食品メーカーで過ごした小生の仕事人生を振り返ると、東京の「ザップ」でトレーニングしていた2000年代前半の多くは健康食品チームの責任者として活動していた。

 「健康食品は山笠が一番詳しい?」と微妙なレッテルを社内で貼られ、営業だけではなく開発からマーケティング、さらにはコテコテ文系にもかかわらず(汗)基礎研究部門まで、多岐にわたって成り行き上、首を突っ込まざるを得ない状況となってしまっていた。まっ、そんな野放し的状況を(苦笑)結構楽しんでいたのも事実であった(笑)

 当時は、異業種から参入してきたトクホ(特定保健用食品)商品が華々しく脚光を浴びており、2001年には「保健機能食品制度」が施行されるという、まさに食品業界的にはエポックメイキングな時代であった。

 一方で、2000年に発生した雪印集団食中毒事件、さらに2001年には日本国内で初のBSE感染牛確認と、食品業界全体に激震をもたらした事件が立て続けに発生し、激動の時代でもあった。ほとんど全てと言っていいほど多くの食品メーカーが何らかの対応に追われる事となった。

 そんな激動の時代。食品業界の片隅でフワフワと漂流していた身として印象深い、幾つかの路地裏的なエピソードを今回から数回にわたって披露していきたいと思う。

食中毒事件の渦中、「お詫び」の記憶

 当時、雪印集団食中毒事件をきっかけに、食品メーカーに対する日本社会全体の見方が非常に厳しくなり、大げさに言えば、毎週のようにどこかの食品メーカーの「お詫び社告」が新聞紙面を賑わせる感じであった。今だから言えるが、一部マスメディアのお詫び広告に要する費用には自業自得とは言えビックリさせられた(苦笑)。

 なぜ、そのような不遜な事を申し上げるかというと、当時のマスメディアの記者の一部には、主だった保健所にここぞとばかりに張り込みをかけ、保健所に来所した一般消費者の方々に「今日保健所に来られた用件は?」などと手当たり次第に尋ね、不祥事に対する消費者心理を煽るかのように「第二の雪印事件探し=スクープ取り」に躍起になっていたことを小生は知っているからだ。

 その一方で、自らのミステークによる「お詫び」は目立たない様にシラッと掲載していたと感じていたのは小生だけだったであろうか…(苦笑)

 そんな小生もご多分に漏れず(苦笑)異物混入によって痺れる様なクレーム対応に追われた。クレーム先の一般消費者宅へ足しげく通い(汗)ようやく解決というか、「君の誠意に免じて…」と運よく収束する事ができた。その際、クレーム相手のご主人から忠告を受けた。

 「今の社会状況だと消費者は直接マスコミに垂れ込むケースが多くなると思うから食品会社さんも対応を誠実にしっかりとしないと…気をつけなさいよ」と(汗)

 しかし、さらに悩ましい事に、立て続けに同じ商品で同様の異物混入が発生…。某老舗百貨店の健康食品売り場で購入したという妙齢のご夫人からお客様相談室にクレームが入ったのだ。

 「こりゃ、いよいよ社告かぁ…」とさすがに内心では腹をくくりかけた。

 早速、クレーム先のお宅へ訪問する事に。担当であった名物セールスマンで大ベテラン、別名「いいよいいよの亀造さん(笑)」と一緒に行くことになった。

 海千山千の亀造さんも、いつもとは様子が違い、
 「山笠課長…ちょっとですね…」
 「亀造さん、どーしたんすか?」
 「いやね、主人の在宅時に来てくれって言われまして。それでそのご自宅の場所がですね…」

 なんとそのご自宅は港区某所セレブ御用達〇×ヒルズの最上階。ご主人が直接話しを聞きたいからと、出勤前のAM8時に自宅まで来てくれと言う事だった。

 亀造さんは、その奥様との電話での微妙な怒り方や品の良いやり取りから、言葉では言い表せない嫌な予感を感じたらしい。しかし小生、何故か「よっしゃぁ」と気合が入った。

 その日は、今にも雨が降り出しそうなどんよりとした朝だった。

 お宅へ訪問するとご主人が厳しい顔で待ち受けていた。

 仕立ての良い真っ白いワイシャツにゴルフ焼けと思われる精悍な顔立ちが白と黒のコントラストを際立たせ、その引締まった佇まいは、小柄ではあるが普通のサラリーマンではないな…と瞬時に感じさせるオーラを醸し出していた。

 そしてリビングのソファーに通され対峙する事となった。

 お詫び、経緯説明、今後の対策・対応、奥様との質疑応答を一通り終えると、奥様はご主人の方に視線を向けた。それまで黙って聞いていたご主人はおもむろに

 「僕はオヤジの代からのCM制作会社を経営していてね。何千万も製作費かけて完成した〇×△□製菓のCMが雪印事件の影響をまともにくらって突然中止になってね。制作費用は丸被りでさぁ、参ったよ。

 うちは食品業界メインで今までやってきたので僕の会社は今大変な状況でね…君たちにしても大変だよなぁ、後は家内と話してくれればそれで良いよ、じゃ僕はこれから仕事なので…お互い頑張って乗り越えていこうや」

 と、逆にエールを送られてしまった。

 その帰り道、「亀造さん…事実は小説より奇なりって良く言うけど、こ~ゆ~展開…あるんですねぇ」、「さすが山笠課長ですよ。お陰様で解決しました」

 亀造さんとの全く嚙み合ってない会話の後(苦笑)「亀造さん、取り敢えずコーヒーでも飲んで一息つきますか」…まだ朝の10時前…その足は居酒屋ではなく喫茶店へとトボトボと向かって行ったのであった。

(つづく)

<プロフィール>山笠太郎(やまがさ たろう)
三無主義全盛の中、怠惰な学生生活を5年間過ごした後、運良く大手食品メーカーに潜り込む。健康食品事業部に配属され、バブル期を挟み10年。その間に健康食品業界で培った山笠ワールドと言われる独自の世界観を確立。その後社内では様々な部門を渡り歩き47都道府県全ての地に足を踏み入れる事となる。

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