山笠太郎の健康管理とほほ日記 ~不摂生な私が25年もスポーツクラブに通える理由~(26)【東京編(13)】
オラオラ系3人組の日常
結局、小生的に“虎の穴”っぽい(笑)スポーツクラブ「ザップ」には転勤で九州(福岡)に赴任するまでの6年ほど通う事となった。
「ザップよ、暫しの間さらばじゃ…」と東京の地を後にしたものの、4年後東京に戻ってみると「ザップ」は影も形もなく(苦笑)その姿は見事に大手ディスカウント食品スーパーへと変貌を遂げていた…ぶっちゃけ「ザップ」はぶっ潰れてしまっていたのであった(ガクッ)
「ザップ」は改めて言うまでもなくユニークな会員やスタッフさん達の宝庫であった。
せっかくなので、トレーニング中によく見かけた筋肉オラオラ系3人組の面々についてもご紹介しよう。この3人。たまたま3人揃っちゃうと兄貴分的存在(推定30代後半)のAさんの独壇場…(笑)週末の朝っぱらから独特の甲高い声で「昨日は錦糸町のフィリピンクラブで派手に遊んだらしいじゃん…」とか何とかトレーニングルーム全体に響き渡る声で下世話で下品な会話をAさんが主導し、聞きたくもないトークが始まっちゃうのであった(苦笑)正直なところ、「トレーニング帰りにどこか駅前の喫茶店でやってくれ!」な心境であった。
Aさんから毎度下ネタで突っ込まれているBさんはボディビル大会に出場しているガチボディビルダーであった。シーズンオフの筋量を増やす時期には筋肉に脂肪も乗っかり、顔つきも含め、まるでルチャリブレ=メキシカンプロレスラーの様な厚みのある体型になる。しかしながら大会が近づくにつれ筋量をキープしたまま急激に脂肪を削ぎ落していくので、その過程は客観的に見て早送りで別人に変身するが如くとても興味深かったが「こりゃ大変だし不健康だよなぁ」と正直感じたものだ(苦笑)
ある日の事だ。Bさんのトレーニング中、プールで泳いでいた謎のおじいさん・70代が(競泳選手が着用しそうな)小っちゃい水着姿でヒョイっと現れた…「おっ、頑張っているね、この前の大会は惜しかったなぁ…」日焼けマシンで?焼いたであろう褐色の肌、小柄ながら端正な顔立ちと均整の取れたスタイル…その佇まいはまるでマフィアの引退したドン…(笑)さながらドラマか映画のワンシーンの様であった(盛り過ぎ?笑)。こんな光景を数回程目撃した。このお方、多分ボディビル業界では有名人なのだろう…多分…であるが…。
3人の中で一番若手なCさんはプロレスラー顔負けの上腕筋を誇り、時々地元地域プロレスの○○プロレスでのイベントでレスラーが足りない時、謎の(笑)覆面レスラーとしてヘルプ参戦しているらしかった。Aさんからは「おっ場外乱闘要員!」と冷やかされていた。
いずれにせよこのお三方、特にAさん(多分プータローorフリーター笑)を筆頭にあまり仕事&私生活の面では恵まれていない感じであった…(残念!)
「お絵かき」兄さんの正体見たり
小生が珍しく平日の夕方「ザップ」に行った時の事だ。トレーニングスペースの入り口に差し掛かった所、奥のスペースで二の腕にバッチリ「お絵かき」を入れ、目つきも極めてよろしくないゴッツイ体をした存在感バッチリな強面のお兄さんがぐいぐいとダンベルカールをしているではないか(汗)明らかに異質な空気感…。
小生「やべっ、お絵かきさんは絶対にNGじゃないか…」と、フロントスタッフに問い合わせるべきか否か迷った次の瞬間。目の前の壁の『〇×△□プロレス。後楽園ホールで一大興行』の、派手なポスターが目に入った。なななんとそのポスターには眼前の強面お兄さん=マグナム東條(仮名)が、〇×△□プロレス社長兼看板レスラーTの横にバッチリ載っているではないか。実はフリーでアメリカを主戦場として長らく転戦し、凱旋帰国したプロレスラーだったのだ。そんなマグナム東條みたいな格闘家も「ザップ」ではちょくちょく見かけたものだ。
謎のこん棒トレーナーKさん、Youはどうしてそんな話を?
スタッフのヘルプとしてたま~に見かけるトレーナーKさんも独特であった。柔道出身の接骨院の先生風ぽっちゃり系な風貌で、いつも如意棒の様な長いこん棒を持ち歩いていて、小生的には「謎」であった。
ある時不意に小生に話しかけてきた「キックボクサーのマ〇〇ってご存じですか?」
「知っているも何も今や売り出し中の大スターじゃないですか」
「彼のプロテストの審査って実はワタシがしましてね。素質は極めて平凡だったので、ここまで大化けするとは夢にも思っておりませんでしたけれど、実際はマスコミが作り上げたイメージとは真逆で、ここまで強くなった彼の最大の武器って実は圧倒的練習量を毎日こなせる能力でして、とにかく物凄い練習ですからね…」
「へぇ~、それは興味深い話っすね…」
何故Kさんが小生に突然そんな話を振って来たのかは未だに不明である…謎(苦笑)
(つづく)
<プロフィール>山笠太郎(やまがさ たろう)
三無主義全盛の中、怠惰な学生生活を5年間過ごした後、運良く大手食品メーカーに潜り込む。健康食品事業部に配属され、バブル期を挟み10年。その間に健康食品業界で培った山笠ワールドと言われる独自の世界観を確立。その後社内では様々な部門を渡り歩き47都道府県全ての地に足を踏み入れる事となる。