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山笠太郎の健康管理とほほ日記 ~不摂生な私が25年もスポーツクラブに通える理由~(20)【東京編(7)】

太郎、健康食品課へ帰還!

 約7年半振りに戻った健康食品課はすっかりこじんまりとしたチームとなっていた。

 時はまさに2001年に保健機能食品(栄養機能食品、特定保健用食品)制度が施行され、それまでの健康食品=怪しげな(苦笑)イメージを払拭するかの如くエポックメイキングな?タイミングであった。そんな最中、結局小生、健康食品課長兼プロダクトマネージャーとして約5年の長きにわたり留まる事となり、振り返ってみれば、旧来の健康食品業界の衰退と同時に新制度を活用した大手食品メーカーの本格的参入を目の当たりにする事となった。

 健康食品課のメンバーもかつて小生が在席していた頃からほぼ入れ替わっており、30歳前後の若手営業マンが主体となっていた。小生は「伝説の健康食品営業マン」だそうで、若大将的存在だった桜井クンいわく「かつて担当されていたお客様も引継がせて頂いておりまして、そのお噂は…」らしかった…(苦笑)

 さらには当時全盛であった講習宣伝販売の「撒きネタ」の専門卸=ブローカーとして某健康食品メーカーから独立して独自路線を歩んでいた、見た目バタくさい70年代ホスト風ながら「強面」で知れ渡っていた山田豪太郎社長と小生が盟友らしい!という、いわゆる「ハク」もついてしまっていたものだから(笑)「情報通」でお調子者な井上クンから「健食業界伝説の営業マンとご一緒にお仕事ができるなんて…」と、何ともまぁこそばゆい感覚であった(微妙)

 そんな訳で突然、昼に夜にと忙しい日々が始まったのだった。とは言え、頭の片隅には「このままでは不健康一直線だよな、飛べない豚だ(汗)何とかせねば…と、最優先でシステム手帳に記入する予定はスポーツクラブに行く予定とした…しかしながら生来の怠け者…最終的には年間50回はザップ(編集部注:太郎ちゃん行きつけの都内スポーツクラブ。万が一お忘れの方は第14回参照)に通いたいね(汗)程度の実体となってしまった…。

増えた夜遊び、そして学んだ「路地裏の経済学」

 それでも今振り返れば、細々とではあるがスポーツクラブ通いが途切れなかった事が結果的に救われたと思っている…(汗)

 当時の小生、どんなに遅くまで呑んでも毎朝7時過ぎには出勤するという日々を重ねていた。また、当時急成長していた地域発の大手ドラッグストア等々、全国各地の支社の商談支援も対応をしており、課長ながら出張の頻度は営業事業部門の事業部長並に多かった。

 アフターファイブについてであるが、取引先接待は勿論の事、健康食品課メンバーとの呑み会(当時は上司も部下も気合いと根性と勢いの時代でしたので…笑)そして小生的に必要不可欠である(苦笑)コソッと夜の淑女達とのプライベートな交流&時々ザップでトレーニング…と、今思えば良く身体が持ったものだと思います。

 実はこの淑女達との交流っていうのはある意味「路地裏の経済学」と申しましょうか、淑女達から聞く体験談は「へぇ~そぉなんだぁ」と実はとっても人生勉強になったのだ(笑)

きらびやかな世界のあれやこれや

 キャバ嬢ユカ(編集部注:第16回参照)からは、ビジュアル系バンドマン達が信じられない程女性にモテまくっている実情や、プロ野球選手達の人格無き下半身事情&かなり危うい「タニマチ」事情等々、また、自ら某ビジュアル系バンドのボーカルのカノジョだったり、某有名プロ野球選手に襲われそうになって思いっきり股間をハイヒールで蹴り上げて難を逃れたり等々の実体験(笑)をベースにしたネタを楽しく聞かせてもらった。

 有名女子大生フードルだったメグちゃん(編集部注:初登場)のネタも秀逸であった。日本のインフラを担う超名門企業の人事課長から「就職試験受けてくれたらうちの会社に採用させてあげるから俺の愛人になれや」とか、法律のスペシャリストである某有名大学教授の「あんなこと・こんなこと」さらには大手人材派遣会社の乱れた社内事情、さらにさらに宝くじで大当たりした地味なオトコの末路等々、とてつもなく面白い話が満載であった。

 一番笑っちゃったのは「山笠さんマジで独立して社長になりなよ、そしたらあたし就職しないで秘書になってあげる」、「山笠さん信頼できるからチョー特別価格の毎月20万円であたしの友達の女子大生紹介してあげよっか」等々、何とも屈託ないメグちゃんとは楽しいやり取りで(これもディールってやつですか?)大いに盛り上がった(笑)

 さて次回は、スポーツクラブザップでの日々とそこで出会ったマッチョな面々をご紹介したいと思う。


(つづく)

<プロフィール>山笠太郎(やまがさ たろう)
三無主義全盛の中、怠惰な学生生活を5年間過ごした後、運良く大手食品メーカーに潜り込む。健康食品事業部に配属され、バブル期を挟み10年。その間に健康食品業界で培った山笠ワールドと言われる独自の世界観を確立。その後社内では様々な部門を渡り歩き47都道府県全ての地に足を踏み入れる事となる。

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