山笠太郎の健康管理とほほ日記 ~不摂生な私が25年もスポーツクラブに通える理由~(28)【東京編(15)】
前回からの続き 健康食品に関する仕事の思い出
当時の食品業界は、トクホをきっかけに多くの大手食品メーカーが健康食品カテゴリへの参入を模索し始めた時期でもあった。サプリメントではCMがお上手な大手食品メーカーがBSテレビを中心に有名タレントを起用し、巧みなストーリー展開のミニドキュメンタリー風CMを制作して大量投入した結果、ブランドが定着しつつあった。
そんな中、サプリメントで微妙に苦戦中の小生(汗)。委託案件が急増し、突然強気な姿勢に転じた(苦笑)委託業者のオラオラな姿勢に対してなすすべもなく…(汗)とにもかくにも少しでも販売量を増やすべく、なりふり構わず社内キャンペーンや取引先関係企業(いわゆる職域販売)等々をかき集めるかの如く泥臭く斡旋販売活動を強化していた。
そんな中、口の悪い営業部門の役員から呼び出され「山笠ぁ、お前ホントにこれ効くのか?」
いやはやなんとも(汗)まるで小生がどこぞの悪徳パチもん健康食品セールスマンの如く毒づかれたものだ(苦笑)
実はこの「ホントにこれ効くのか?」っていう心理。小生が某役員から毒づかれてから20年以上経った今日まで、いくら法整備しても結論が出ていない、もしくは出せない?永遠のテーマなのではないかと思っており、「健康食品」の本質的課題であると小生は感じている。
「ホントに効くのか?」の深淵を覗く
さて、小生が勤めていた「中洲食品工業」は伝統的に?メインバンクの●×銀行から役員待遇で天下り社員を受け入れており、小生が30代半ばの頃は、出身銀行において営業の出世コースである●●●支店長からいきなり乗り込むように転出してきた根岸取締役総務部長がいた。
当時の小生、健康食品部門から離れ、老舗百貨店「〇△百貨店」と電鉄系百貨店「××百貨店」という実にやっかいな(苦笑)百貨店を担当していた。
そんな中、まだ銀行から転出されてまもない根岸取締役総務部長から「君が〇△百貨店担当の山笠君か?ぼくを今度〇△百貨店に連れてってくれよ」とご依頼が…。そのとき、たまたま外商部門の優待販売会に呼ばれており、「ラッキー、根岸さんに何か高級品を買ってもらって外商に恩を売っておこう」などという軽いスケベ心で(苦笑)根岸取締役総務部長に随行する事となった。
〇△百貨店本店は、日銀の目と鼻の先だった。
「山笠くん少しばかり寄り道いいかね」
「はい特に問題ございません」
すると根岸取締役は、日銀の目の前、常盤橋公園へと向かった。そしてそこに鎮座する渋沢栄一翁の銅像の前に佇んだのだった。今でこそ綺麗にされているようだが、当時は鳩のフンにまみれていた(苦笑)
「ぼくは大学まで九州でね。●×銀行に就職が決まって上京した際には真っ先にこの渋沢栄一の銅像に挨拶しに来たんだ…」
根岸取締役によると、その後銀行ではエリート中のエリートポストと言われたMOF担という日銀担当として毎日のように日銀詣での日々…
「まぁ昼間っから他行の担当者や経済部の記者達と雀荘に入り浸っていたり、焼き鳥屋で一杯やったり…鰻もよく食べに行ったなぁ…」
と今にも雨が降り出しそうな曇り空を眩しそうに見上げ、問わず語りの如く呟くのであった…。何故か今でもその光景は小生の目に焼き付いている。
それから6~7年の歳月が流れ、小生はふたたび健康食品部門へ舞い戻りマネジャーとなり、根岸取締役は営業部門統括専務として同じ階のフロアに個室を構えるようになっていた。
小生、たびたび根岸専務に呼ばれ、毒にもならない健康食品業界の四方山話をさせてもらった(苦笑)ダラダラとした長話が嫌いな根岸専務は、珍しい動物でも見るかのような目で小生をいぶかし気に見ていたものだった(汗)
そんなある日のことだった。
「ところでアガ〇クスって、やはりガンに効くのかね?」
小生もさすがに言葉を選びつつ「ガンを発症してしまったら主治医の指示に従うべきではないでしょうか」的な返答をした様な記憶がある。
少し考え込むような表情をした根岸専務は「そりゃそうだよな、まぁおまじない的に飲んでおけば多少は予防にはなるかもしれんな」と苦笑しつつ、その日から小生、メーカーに掛け合って当時ブーム商品で手に入りにくく絶対値引きしなかったアガ〇クスを卸値で調達し、根岸専務に定期的にお届けすることとなった。
なぜ誇り高きバンカー、かつ、リアリストな根岸専務が…と大いに疑問に思った小生。その答えは後に根岸専務から直接聞くこととなる。
「実は俺の親友の娘さんの結婚式に招待されたのだけど、何と娘さん本人に癌が見つかり余命宣告されてね、旦那さんの方はそれでも構わないからと結婚してくれてね…あの披露宴は何とも言いようがなくてね…」
と、どうやらそんな衝撃的な経験からの影響でアガ〇クスに辿り着いたようであった。
その後まもなくして根岸専務は退任され会社を去った。それから1年程経った頃であろうか、根岸さんはすい臓がんを発症しあっという間に逝ってしまったという衝撃の事実をとあるルートから耳にすることとなった。
その話を耳にした瞬間、当時の専務室で今思えば引きつった顔で、「ところでア〇リクスって、やはりガンに効くのかね?」と、ギョロっと目を見開き小生に問うた根岸専務の姿がビジュアライズされ、目の前を駆け巡ったような気がした。
(つづく)
<プロフィール>山笠太郎(やまがさ たろう)
三無主義全盛の中、怠惰な学生生活を5年間過ごした後、運良く大手食品メーカーに潜り込む。健康食品事業部に配属され、バブル期を挟み10年。その間に健康食品業界で培った山笠ワールドと言われる独自の世界観を確立。その後社内では様々な部門を渡り歩き47都道府県全ての地に足を踏み入れる事となる。











