山笠太郎の健康管理とほほ日記 ~不摂生な私が25年もスポーツクラブに通える理由~(22)【東京編(9)】
ザップを彩るマッチョで愉快な面々、其の一「ボディビルダーA子」
当時、小生が東京で通っていたザップは「総合スポーツクラブ」を標ぼうしていた。しかしその実態はというと、テニスとスイミングがメインだった。インドアテニスコートを有しているのが「売り」であり、子供向けのスイミングスクールも人気があった。近隣に複数の小学校が所在していたのだ。
ザップはロッカールームが狭く、お風呂場もシャワーのみだ。実は、多くの総合スポーツクラブにおける隠れた「売り」のひとつがゆったりとした風呂場とサウナであった。中高年および高齢者会員にとっての楽しみの1つだ。毎日開館と同時に入館し、先ずは一番風呂で…なんていうシルバー世代の会員さんも結構いた。「銭湯替わりみたいなものさ…」そんな会話も漏れ聞こえてきた程だ。
そんな訳で、シャワーのみであるザップはシルバー世代の会員が少なかった。
それから程なくして、24時間いつでも利用でき、会費も価格破壊的にリーズナブル、かつ、コンビニ感覚で利用できるスポーツジムが登場する。シンプルに筋トレ目的の会員や、気軽に利用したい若者を中心に人気を博し、総合スポーツクラブ全盛からスポーツジム全盛へと時代が移り変わっていくのであった。
当時、ザップのトレーニングエリアの主な利用者は、ボディビルダー、プロレスラー、ボクサー、空手家、役者、大手企業を定年退職し妙に規則正しくトレーニングに励むおじさん、筋トレオタク、格闘技オタク、近隣外国人居住者──などなどと多彩であった。
そんな東京下町のなんちゃって「虎の穴」なザップ。小生がそこで見かけたマッチョで愉快…時々「よろしく哀愁」な愛すべき?面々について、今回から数回にわたって紹介していきたいと思う。
まず、とりわけ印象に残っているマッチョさんを紹介しよう。当時、ザップをトレーニング拠点としていたワールドゲームスの女子日本代表にも選ばれた経験のある女性ボディビルダーA子さんだ。その全身から漂うカリスマ性&オーラは他の追随を許さないほど際立っていた。
ある朝、小生がストレッチをしているとA子さんが颯爽と登場。そして小生の眼前でストレッチを優雅に始めた。その日本人離れした圧倒的プロポーションと精悍でシャープな顔立ちに思わず見とれてしまう程だった。年齢は30代半ば位だったと思う。
そのA子さんには、トレーニングパートナーとして同伴している彼氏がいた。なんと、ひと回り以上年下…まだ20代前半で全くオーラ感のない(笑)普通の若者であった。
女子日本代表の輝かしい経歴、一方で好きな男性のタイプは…
A子さんと知り合って本格的にボディビルダーを目指し、一緒にトレーニングに取り組むようになったらしいのだが、素人目に見てもまだまだ発展途上の体型であった。しかも、高校を卒業した後、仕事をコロコロと変え、その頃は建設現場でバイトをしていた……。
口の悪いオラオラ系マッチョな会員さん達は「ありゃダメだ。すぐ別れるぜ、あの二人は」なんて相変わらず下世話なネタで盛り上がっていた。それを聞いて、「そんなくだらねぇ事言ってっからおめえら筋肉バカって言われんだよ、他人の事より自分のことを心配をしろ!」と心の中で毒づく小生がいた(苦笑)
A子さんは、大学を卒業し就職して間もない20代半ば、運命的にボディビルと出会ったのであった。OLを辞め、トレーニングにのめり込んでいくまでにさほど時間はかからなかった。気が付けば日本を代表する女性ボディビルダーへと成長、脚光を浴びるようになっていたのだ。
A子さんに憧れ、地方からトレーニングを是非一緒に…と遠征して来る女性ボディビルダーのタマゴちゃん達もザップでよく見かけたものだった。
しかし、そんなA子さんの暮らしはと言うと、信じられない事に、公的機関のスポーツ指導員の契約社員として慎ましやかに生計を立てていたのだ。
かたや、バイトで食いつないでいる年下彼氏…ふたりのデート時の御馳走がビッグマックだなんて泣けてくるぜ…ってかA子さんの圧倒的なスタイルと美貌なら「男なんて星の数…」じゃないのかい?なんてゲスな勘繰りをしてしまう小生がいた(苦笑)
そんな情景から、ボディビルダーっていうのは、日常生活の管理も含め、大変な節制と労力を費やす割にはカネにならないっていう現実と、A子さんクラスの最高峰にステキな女性でも「駄メンズ好き」……やっぱり古今東西どこの世界(業界)においても駄メンズを好きになる女性って普通に居るものなのだなぁ、という事を改めて知る事となったのだった(笑)。
(つづく)
<プロフィール>山笠太郎(やまがさ たろう)
三無主義全盛の中、怠惰な学生生活を5年間過ごした後、運良く大手食品メーカーに潜り込む。健康食品事業部に配属され、バブル期を挟み10年。その間に健康食品業界で培った山笠ワールドと言われる独自の世界観を確立。その後社内では様々な部門を渡り歩き47都道府県全ての地に足を踏み入れる事となる。