山笠太郎の健康管理とほほ日記 ~不摂生な私が25年もスポーツクラブに通える理由~(12)
ゴルフ編が終わり、舞台はまた大阪へ
結果的に大阪支社に着任し、おおよそ1年後…ひょんな事から重要取引先?であるコテコテ大阪原料問屋、黒丸商店黒丸社長の紹介により浪速スポーツクラブに有無を言わせず(笑)入会する事となり、大阪支社在職の半分強の期間、成り行きで(汗)ダイエット大作戦=QOL改善に取り組む事となった。入社以来の暴飲暴食&運動不足がたたり、小生、張り裂ける寸前の風船の如きパンパンに肥大化した不健康極まりない体型となっていた(汗)
先ずは「禁酒宣言」すなわちアフターファイブは付き合いません宣言をした訳で、当時の社内接待全盛の大阪支社では「ありえへん」宣言でもあった。管理職に昇進し、将来を嘱望された?立場からして「あるまじき行為」であった訳だ(苦笑)
大阪では何かと世話を焼いてくれた「浪花の牢名主」こと、やっさんもさすがに心配気味に「山笠課長、こらまた思い切りましたなぁ…らしいわぁ~。え~んちゃいますぅ、将来に備えて身体を鍛えはるんですなぁ…夜の方はまぁ任しときなはれ、何とかしますさかいに。山笠課長は黒丸社長と上手いこと人間関係築いてもろて…あんじょう頼みます」
当時の大阪支社の支社長を頂点にした連夜のめんどくせーねちっこい社内接待からも解放され(笑)結果、アフターファイブに束縛される事がなくなり、思いがけず実にラッキーな大阪ライフを満喫する事が出来たのだ(夜、中心…汗)。その結果、健康診断の数値も含め体調は劇的に改善し周囲を色んな意味で驚かせる事となった。その一方で上司からの評価(査定)は転げ落ちる石の如し…であった(汗)
もしあと2年大阪支社に勤務していたならば、健康の改善の曲線とは真逆に小生の査定曲線はさらに音を立てて転げ落ちるように下降していた事だろう…当時の「社内接待」全盛の日本企業なんて所詮そんなものであった(爆)と、あえてここでは言い切ってしまおう(笑)
ちなみに、関西のおねーちゃん達と遊んじゃう曲線は右肩爆上がりになっていたであろうという事はあくまで補足資料?として記しておく(笑)
浪速スポーツクラブを紹介頂いた黒丸社長との距離感も取引関係バリバリ感もなく、自然体…フラットであったのも良かった。黒丸社長が下戸なのにも大いに助けられた(笑)
一般的に重要取引先である強面の黒丸社長といくらプライベートとは言えフラットに接するっていう行動はかなり度胸のいる所業らしく、どこぞの営業の誰かさんの様に、チャンス到来、ここぞとばかりに歯の浮くようなお世辞を連発し、指紋がなくなる程の「前垂れセールス」をガッツリ展開するのが一般的営業作法?らしい…クゥーッ無理ぃ。
まぁ小生、良く言えばユニーク、一方で「山笠、おまえなぁ、もそっとゴマを擦る事も覚えろ」とご忠告を受けてしまう事もしばしば…(苦笑)
当時を振り返ると、むしろ黒丸社長の方が小生に気を遣って頂いていたんじゃないかって少し反省…(汗)
余談であるが、小生、その後大手食品メーカー健康食品開発担当管理職の方々との業界での交流や社内においては技術・管理系に属する某部門の本部長として4年ほど在席した頃の経験から「ゴマをスリスリ」はアホな文系営業の「専売特許」だけではあらず、実は負けず劣らず「あちらの面々」も、見るに堪えないほど「負けず劣らず」お盛んな事が分かり、実に良い社会勉強をさせてもらったものだ(笑)
そんなこんなで、大阪支社での3年間の勤務を経て東京本社へと再び戻る事になった。
大阪ではQOL改善に取り組み、劇的に健康を取り戻したかにみえた小生であったが、その後はマネージャーとしてさまざまな部門やエリアへ異動するなど…それなりに波瀾万丈な日々が待ち受け、それと共に健康問題も再び大変な事になっていくのであった…。
次回は大阪編最終章として黒丸商店との仕事でのエピソードを幾つか記しておこうと思う。
(つづく)
<プロフィール>山笠太郎(やまがさ たろう)
三無主義全盛の中、怠惰な学生生活を5年間過ごした後、運良く大手食品メーカーに潜り込む。健康食品事業部に配属され、バブル期を挟み10年。その間に健康食品業界で培った山笠ワールドと言われる独自の世界観を確立。その後社内では様々な部門を渡り歩き47都道府県全ての地に足を踏み入れる事となる。