お米券論争、政策の本質を解説する(後) 【寄稿】氾濫する制度誤解に対し、元農水官僚の視点から
元備蓄米担当課長 中村 啓一
コメ政策と物価対策を混同した議論
現下の物価高の象徴として「コメ」が取り上げられ、「需要に応じた生産」という政府方針がJA救済の減反政策への逆戻りだといった批判もみられる。しかし、農業も経済活動の一部である以上、需要に見合った生産を目指すのは本来の姿である。前内閣が打ち出した「増産」も、単なる数量拡大ではなく、輸出など新たな需要の開拓を視野に入れたものだった。
とはいえ、輸出拡大は直近の物価対策にはなりにくい。過去5年間でコメ輸出量は2.6倍に増えたとされるが、2024年時点で約4万5,000トンにとどまり、10万トン規模の輸出を確保するには10年単位の取り組みが必要とされる。海外で日本食ブームが続いているとしても、本格的な市場拡大には価格競争を避けて通れない。輸出を増やして国内が不足したら輸出向けを国内に回せばよい、という発想は、国民の主食であるコメのセーフティーネットを貿易に委ねるという点でリスクが大きい。
「価格にはコミットしない」という鈴木大臣の発言が、高値を放置する宣言だと批判されているが、1995年の食管法廃止後に制定された現行食糧法は、価格を市場に委ねることを前提としている。国の役割は需給の安定を図り、その結果として価格も安定させることである。コメがひっ迫した昨夏、江藤大臣も同様の趣旨の発言をしていたが、その際は南海トラフ地震臨時情報の発表を契機に店頭からコメが消える中、備蓄米の機動的な放出が行われず価格高騰を招いた。鈴木大臣自身も当時の副大臣として、備蓄米を放出すべきだったと振り返っている。
小泉前大臣が随意契約で備蓄米を放出したことは、過渡期の緊急対応としてやむを得なかった面もあるが、価格高騰時に安値で放出するのであれば、価格下落時には買い上げで価格を支えることも論理的には求められる。
したがって今回の考え方は、農政改革の全面的な転換というより、昨年から迷走したコメ対策について出口戦略を見据えての現実的な軌道修正と考えている。
政府備蓄米は「棚上げ備蓄」として100万トンを政府が市場から切り離して保有し、凶作時などに放出されるが、放出がなければ5年で飼料用など非食用として売却される。一方、小麦や飼料穀物では製粉会社などが通常在庫に上乗せするかたちで備蓄し、国が保管料の一部を補助する「民間備蓄(回転備蓄)」が採用されている。更新が常に行われるため、平時から市場とのつながりが保たれる仕組みである。
昨年の備蓄米放出では、消費者に届くまで時間を要した。放出決定後に販売先や流通ルートの手配を行ったためである。これに対し、一部を民間備蓄に切り替えれば、通常の流通ルートを通じてより迅速な供給が可能になる。政府が備蓄米の一部の民間備蓄化を検討するとしているのは、こうした教訓を踏まえた機動的な運用の模索と捉えられ、今後の議論を注視したい。
冷静な議論のために必要なこと
コメをめぐる議論が混乱している最大の理由は、目先の物価対策(生活支援)と、中長期的な農業政策が区別されないまま、ごちゃ混ぜに論じられている点にある。発信力のある人が言いたい放題の状況だ。今、米価が上がり続けている背景には、高値で仕入れた米が流通の中で滞留し、身動きが取れなくなっている事情がある。低価格で放出した備蓄米の効果もその時だけの効果にとどまっている。根底には、店頭からコメが消えた昨夏の混乱時に、農水省が備蓄米の緊急放出など有効な手立てを打てなかったことへの反省がある。
今後は減反政策への回帰ではなく、コメに限らず「需要に見合った生産」という経済活動の基本に立ち返ることが求められる。そのためには、精度の高い需要予測と新たな需要の創出に加え、機械化や規模拡大による生産性向上に取り組む農業者への支援が不可欠だ。農地集約を進める上では、地理的条件や地域社会の事情というハードルが存在し、時間と労力を要することも事実だ。令和の米騒動は、改めて我が国の農業を見直す機会を消費者に与えることとなったが、一面的な情報や批判のための批判などが氾濫したせいで混乱を生んだ。
物価対策が後手に回り、円安が長期化する中で、いま国民生活を最も圧迫している構造的な要因は本来別のところにある。しかし、現実にはその「本丸」の検証が十分行われず、象徴的な存在として取り上げやすいコメ問題ばかりが注目され、総合経済対策の1メニューにすぎない「お米券」に批判が集中する結果となっている。この矛先の向けられ方は、制度の位置付けを踏まえれば冤罪的と言わざるを得ない。
本来、政策の文脈と事実を積み上げて冷静に論じる役割を担うべきオールドメディアが、政治的パフォーマンスや分かりやすい対立構図に安易に飛び付き、論点を矮小化させている側面も見逃せない。物価対策の根幹には踏み込まず、批判の矛先を“話題として扱いやすいお米券”へ逸らしてしまう姿勢は、現代メディアの構造的弱体化を示すものであり、国民の政策判断を偏らせかねない。いま求められているのは、断片的な言説に流されず、政策全体を俯瞰し、本質から議論を組み立てる報道と受け手の姿勢ではないだろうか。
(了)
<プロフィール>
中村啓一(食の信頼向上をめざす会事務局長)
1968年農林水産省入省。その後、近畿農政局 企画調整部 消費生活課長、消費・安全局 表示・規格課 食品表示・規格監視室長、総合食料局 食糧部 消費流通課長などを経て2011年に退官。著書:『食品偽装・起こさないためのケーススタディ』共著(ぎょうせい)2008年、『食品偽装との闘い』(文芸社)2012年など。
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