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HHS長官のワクチン攻撃に懸念の声 【寄稿】急進的措置に科学界から強い警戒感

東京大学名誉教授 唐木 英明

 ロバート・F・ケネディ・ジュニア米国保健福祉省(HHS)長官は、最近、2つの政策を断行した。米国疾病予防管理センター(CDC)の予防接種諮問委員会(ACIP)の全委員17人の解任と、mRNAワクチン研究に対する約5億ドルの連邦政府資金提供の打ち切りである。これらの行動には、医療と科学界から強い警戒感が示されている。

ケネディ長官の反ワクチン闘争

 ケネディ氏は、反ワクチン団体「チルドレンズ・ヘルス・ディフェンス」の設立者兼元会長であり、ワクチンと自閉症との間に因果関係があるという、根拠がない主張を執拗に繰り返していた。彼は新型コロナワクチンを「史上最も致死性の高いワクチン」と呼び、食品医薬品局(FDA)に対してワクチンの承認を取り消すよう請願書を提出したことがある。

 彼の科学に対する懐疑論はワクチンにとどまらず、AIDSの原因は薬物乱用や栄養不良、精神的ストレスなどであり、HIVウイルスによるものではないという「HIV/AIDS否定論」や、飛行機雲はただの水蒸気ではなく、化学物質やウイルスなどを散布しているという「ケムトレイル陰謀論」といった、非科学的な陰謀論も広めてきた。彼の活動による現実の被害として、サモアで発生した麻疹の流行は、ケネディ氏の活動にあおられたワクチン反対運動が直接的な原因であると指摘され、この流行で5歳未満の子供たち83人が命を落としている。

 ケネディ氏の長官指名承認公聴会において、彼は自身の立場を「反ワクチン」ではなく「安全性重視」であると主張した。そして自身の子供たちは全員ワクチンを接種していると述べつつも、自身の過去の姿勢を完全に撤回することはなかった。
 公聴会で、共和党所属のキャシディ上院議員は、ワクチンが自閉症を引き起こさないという科学論文を読み上げた。これに対しケネディ氏は、自身の説に沿うジャンク論文を持ち出して、自分は正しいと主張した。ケネディ氏の手法は、政策に合う証拠を探すことであり、根拠に基づく政策ではないことがこの時点で明らかにされていたのだ。

予防接種諮問委員会委員の解任

 不活化が不十分なポリオワクチンの接種により、多くの子供たちが麻痺を発症するという1955年の「カッター事件」の悲劇の結果、ワクチン政策の司令塔となるACIPが創設され、米国の予防接種プログラムの信頼性と科学的厳密性の礎となってきた。
 2025年6月10日、ケネディ長官は、ACIPの委員17人全員を解任するという、前例のない措置を断行した。長官は措置の理由として、「ワクチンに対する国民の信頼を再確立するため」、そして、「委員会は利益相反に陥り、ワクチンを単に承認する機関と化している」と述べた。しかし、この主張の根拠として彼が引用した政府報告書は、18年以上前の活動に関するものであり、現行の委員には当てはまらないことが指摘され、彼が主張する利益相反の具体的な根拠はない。

 米国公衆衛生協会(APHA)の事務局長であるベンジャミン博士は、この大量解任を「クーデター」と呼び、「民主主義のやり方ではない。『国家の健康』にかかわる」と述べているが、彼の行動は、問題を解決するのではなく、意図的に危機を創出し、独立した科学的助言という仕組みそのものを攻撃するものであった。
 全委員を解任した後、ケネディ長官は速やかに後任を任命したのだが、その顔ぶれは、専門家というよりは、ワクチン懐疑派であり、しばしば非科学的な主張をする人物で占められた。例えば、ワクチンに関する誤情報を広めているとして批判されている「国立ワクチン情報センター」の役員を務めた経歴を持つペブスワース氏などである。

 新委員会の最初の会合を、元委員の1人は「茶番劇」と評した。この会合では、防腐剤であるチメロサールがターゲットになった。ワクチン反対派は、チメロサールに含まれる水銀が神経毒性を持ち、自閉症を引き起こすと、長年主張していた。そして、新委員会は、チメロサールをワクチンに使用しないことを推奨したのだ。
 今後は、米国医学界や小児科学会などの勧告とは異なる内容がACIPから発表され、医師や国民は、どちらを信じるべきか混乱することになる。この混乱と不信こそが、反ワクチン運動とケネディ長官が長年目指してきた目標であり、公衆衛生機関全体の信頼を失墜させるための戦略的な一歩と言われている。

mRNAワクチンの否定

 ケネディ長官によるmRNA技術研究への資金提供打ち切りは、現代医学における最も重要な進歩の1つに対する攻撃である。mRNA技術は一夜にして現れたものではなく、数十年にわたる基礎研究の集大成であり、新型コロナパンデミックにおいてその真価を証明した。

 mRNA技術の最大の利点は、その驚異的なスピードにある。従来の、鶏卵を用いてウイルスを培養する方法は、ワクチン製造に数カ月から数年を要する。これに対し、mRNAワクチンは、ウイルスの遺伝子配列さえ分かれば、数週間で設計・製造が可能である。この迅速性は、インフルエンザのように絶えず変異するウイルスや、未知の「疾病X」のような新たなパンデミックの脅威に対して、迅速に対応するための決定的な武器となる。

 元HHS高官のブライト氏は、mRNA技術を放棄することは「次のパンデミックを封じ込めるために我々が持つ最高の武器を失う」ことであり、「国家安全保障を深く損なう」と警告している。また、この技術は、個々の患者のがん細胞に特異的な免疫応答を誘導する個別化がんワクチンなど、革新的な治療法の開発にも利用されている。したがって、ケネディ長官の決定は、呼吸器系ウイルスに対する防御を弱めるだけでなく、医学の多くの分野にわたるブレークスルーの可能性を摘み取るものであり、その影響は計り知れない。

 ケネディ長官は、mRNA研究資金の打ち切りを正当化するために、「mRNA技術は、新型コロナやインフルエンザのような呼吸器系ウイルスに対して、便益よりもリスクをもたらす」と断じた。彼はまた、これらのワクチンが「上気道感染症に対して効果的に防御できない」こと、さらには「ウイルスがワクチンの防御効果を逃れるために絶えず変異する中で、新たな変異を促し、パンデミックを実際に長引かせる可能性がある」と主張した。しかし、これらの主張は、世界の科学界のコンセンサスとは全く相容れないものであり、専門家によってすべて反論されている。

 例えば、mRNAワクチンが上気道感染を常に防ぐわけではないことは事実だが、これは多くの呼吸器系ワクチンに共通する特徴であり、mRNAワクチンを批判する根拠にはならない。
 この資金打ち切りの影響は極めて大きく、専門家は、鶏卵を使った旧式のワクチン製造技術に戻ることは、将来のパンデミックに対して米国を極めて脆弱にすると警告している。さらに、この決定は米国が自らイノベーションの最前線から退くことで、将来の画期的な治療法を中国に依存せざるを得なくなる可能性があることも指摘されている。

トランプ政権による科学的誠実性への攻撃

 科学的事実より政治的物語を優先するケネディ長官の行動は孤立したものではなく、政権の政策目標に合致しない科学的知見を意図的に軽視、あるいは攻撃するというトランプ政権の特徴と一致している。その典型的な例が、トランプ大統領による労働統計局マッケンターファー長官の解任である。市場の予想を下回る雇用統計が発表された直後、トランプ大統領は根拠を示すことなく、統計が「不正に操作された」、「捏造された」と主張し、バイデン前大統領によって任命された長官の即時解任を命じた。

 ケネディ長官によるACIP委員の全員解任は、この労働統計局長官解任劇と不気味なほど酷似している。したがって、ケネディ長官のワクチン政策への攻撃は、1人の閣僚による逸脱した行動ではなく、政権のイデオロギーに、科学的専門知識を従属させようとする、トランプ政権の組織的な取り組みの現れとして理解される。
 トランプ政権のもたらす大混乱は、関税問題だけでなく、健康・福祉分野にまで及んできたのだが、この異常事態はいつまで続くのだろうか。

<プロフィール>
東京大学名誉教授(食の信頼向上をめざす会代表)
1941年生。農学博士、獣医師。1964年東京大学農学部獣医学科卒。テキサス大学ダラス医学研究所研究員を経て、87年に東京大学教授、同大学アイソトープ総合センター長を併任、2003年に名誉教授。日本薬理学会理事、日本学術会議副会長、(公財)食の安全・安心財団理事長、倉敷芸術科学大学学長などを歴任。専門は薬理学、毒性学、食品安全、リスクコミュニケーション。これまでに瑞宝章(中綬章)、日本農学賞、読売農学賞、消費者庁消費者支援功労者表彰、食料産業特別貢献大賞など数々の賞を受賞。
「食品安全ハンドブック」丸善2009、「検証BSE問題の真実」さきたま出版会2018、「鉄鋼と電子の塔(共著)」森北出版2020、「健康食品入門」日本食糧新聞社2023、「フェイクを見抜く(共著)」ウェッジ2024など著書多数。

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