景品表示法をめぐる歴史的判例 【寄稿】「糖質カット炊飯器」判決の裏側にあるもの
東京大学名誉教授 唐木 英明
2025年7月25日、東京地方裁判所は、23年10月31日に行った消費者庁による㈱forty-fourへの措置命令を「違法」と判断し取り消した。景品表示法に基づく命令が司法によって覆されたのは初の事例であり、広告表現に対する法解釈の転換点となった。表示の科学的根拠よりも、消費者の受け止め方に焦点を当てた判決は、今後の行政運用に影響を与えるとみられる。唐木英明・東京大学名誉教授は、本判決を通じて、消費者庁による画一的な表示規制の在り方に警鐘を鳴らしている。
景表法命令、初の「違法」判決
2025年7月25日、日本の消費者法史に極めて重要な一頁が刻まれた。東京地方裁判所は、消費者庁が23年10月31日に㈱forty-fourに対して下した「景表法」に基づく措置命令を「違法」であるとして取り消す判決を下したのだ。裁判所が景表法に基づく措置命令そのものを取り消したのは、1962年の法制定以来、初めてのことと言われる。この事実は、これまで絶大な権限を行使してきた消費者庁の判断に対し、司法が明確な一線を画したことを示している。この判決は、法的な争点を単なる「表示の裏付け(根拠)があるか否か」という次元から、より根源的で難解な「そもそも、広告は何をうたっているのか」という解釈の次元へと移行させた。そして、この判決は、消費者庁の隠された大きな目的を打ち砕くことにもなった。
消費者庁の主張
消費者庁は2023年10月31日、㈱forty-fourを含む4社に対し、景表法違反(優良誤認)を理由とする措置命令を下した。この動きは単発のものではなく、その後、大手小売りのニトリなど他の事業者にも同様の措置命令が出されており、消費者庁が同様の製品全体に対して厳しい姿勢で臨んでいたことがうかがえる。
消費者庁が問題にしたのは、「おいしさそのまま糖質45%カット」という広告表示である。消費者庁は、この広告が消費者に対し、「通常の炊飯器で炊いたご飯と同様の炊き上がりになりながら、含有される糖質量だけが劇的に削減される」という印象を与えている、という点にあった。つまり、品質面でのトレードオフが一切なく、健康上の大きなメリットだけを享受できるという、まさに「著しく優良」な商品であるかのように見せかけているという疑惑である。
この解釈に基づいて、消費者庁は不実証広告規制を発動し、事業者に対してこの「同じ、なのに優れている」という主張を裏付ける合理的な根拠の提出を要求した。しかし、事業者が提出した資料は、消費者庁が設定したこの高いハードルをクリアするものとは認められず、措置命令へと至った。
事業者の反論
これに対し、訴訟を提起した㈱forty-fourは、消費者庁が自社の広告を根本的に誤読しているとして、以下のように反論した。
「おいしさそのまま」という表現は、食感や水分量といった客観的な「炊き上がり」の状態を指すものではなく、糖質をカットしてもご飯が不味くなるわけではない、という消費者の懸念を払拭するための、味覚に関する主観的なアピールに過ぎない。消費者庁が指摘するような「炊き上がりは同じで糖質だけが低い」などという、「著しく優良」な表示は一切行っていない。
対立の背景にある国民生活センターの調査
消費者庁の措置命令に先立つ2023年3月、国民生活センター(国セン)が「糖質を低減できるとうたった電気炊飯器」に関する商品テスト結果を公表している。このテストでは、多くの「糖質カット」炊飯器において、炊きあがったご飯100gあたりの糖質の「割合」は確かに低くなるものの、それは主にご飯に含まれる水分量が増加した結果であり、同じ量の生米から炊いたご飯に含まれる糖質の「総量」には、通常の炊飯と大きな差は見られないという、科学的には十分理解できる結果を明らかにした。
この知見は、消費者庁が事業者の表示に対して抱いた強い疑念の裏付けとなり、規制措置に踏み切る大きな動機となった可能性が高い。それは、うたわれている高い糖質カット率が、実質的な糖質の除去というよりは、水分による希釈効果のトリックにすぎないという疑いである。
国民生活センターの報告は、「糖質カット率」という表示の科学的な妥当性に深刻な疑問を投げかけたのだが、消費者庁は、この科学的な疑念を追求するのではなく、「炊き上がりは全く同じ」という、広告の「言葉」を追求した。つまり、消費者庁の措置は科学的疑念に端を発しながらも、その法的正当化は、特定の、そして最終的には司法によって覆されることになる広告文の解釈に依存していたのである。
司法による緻密な審査
裁判長が下した判決の文言は、消費者庁が構築した法的枠組みの前提そのものを覆すものであった。裁判所の認定は、forty-four社の広告表示を全体としてみれば、消費者が「通常の炊飯機能で炊飯した米飯と同様の炊き上がり」になると認識するとは認められない、という点にあった。その理由として、裁判所は、広告自体が特殊な釜の構造や通常の炊飯とは異なる調理工程を説明していることを重視した。この説明を読んだ一般消費者が、最終的な成果物が通常炊飯と同一であると合理的に結論づけるとは考えにくいと判断したのである。そして、「おいしさそのまま」というキャッチフレーズは、客観的な物理的品質に関する主張ではなく、味覚に関する主観的な訴えに留まるものと解釈された。したがって、裁判所は、問題の表示が、「著しく優良」であると示すものには当たらないと結論づけたのだ。
原告側代理人弁護士が、「事業者が提出した資料の検討が不十分なまま措置命令が出されている。運用の在り方に一石を投じる判決だ」と評価したように、この判決は、行政が事業者側の主張や文脈を十分に考慮せずに機械的に規制を適用することへの警鐘となった。
この判決は、景表法を巡る紛争において最も重要な戦場が、科学データの検証ではなく、広告コピーの初期解釈にあることを証明した。そして、今後の消費者庁の法執行プロセスに、事実上の二段階審査を求めた。第一に、「消費者庁による広告の解釈は、一般消費者の視点から見て妥当か」。そして、この第一の問いが肯定された場合にのみ、第二の問いである「事業者はその表示に対して合理的な根拠を提出したか」が問われることになる。この判例は、景表法の執行において、単なる科学的実証だけでなく、表示の文脈や言葉のニュアンスを分析する作業の重要性を格段に高め、より複雑で均衡の取れたプロセスを要求するものとなる。
消費者庁が本判決を不服として控訴する可能性は高いと見られている。それ以前に、今回の判決を受けて、消費者庁の措置命令の取り消しを求める訴訟が、今後増加する可能性も否定できない。
おわりに
国センが明確に否定している「糖質カット炊飯器」を、何らかの手段で市場から退出させようとした消費者庁の意図は十分に理解できる。しかし、その手段として、「おいしさそのまま」を批判する、変化球勝負ではなく「糖質カット」を批判する、直球勝負ができなかったのだろうか。この判決が、「糖質カット炊飯器」の科学的な正当性を認めたものと誤解されないことを望む。
<プロフィール>
東京大学名誉教授(食の信頼向上をめざす会代表)
1941年生。農学博士、獣医師。1964年東京大学農学部獣医学科卒。テキサス大学ダラス医学研究所研究員を経て、87年に東京大学教授、同大学アイソトープ総合センター長を併任、2003年に名誉教授。日本薬理学会理事、日本学術会議副会長、(公財)食の安全・安心財団理事長、倉敷芸術科学大学学長などを歴任。専門は薬理学、毒性学、食品安全、リスクコミュニケーション。これまでに瑞宝章(中綬章)、日本農学賞、読売農学賞、消費者庁消費者支援功労者表彰、食料産業特別貢献大賞など数々の賞を受賞。
「食品安全ハンドブック」丸善2009、「検証BSE問題の真実」さきたま出版会2018、「鉄鋼と電子の塔(共著)」森北出版2020、「健康食品入門」日本食糧新聞社2023、「フェイクを見抜く(共著)」ウェッジ2024など著書多数。
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