日弁連「サプリ新法案」の検証(中) 【寄稿】市場の活力を奪う規制と欠けた消費者視点
東京大学名誉教授 唐木 英明
2025年7月、日弁連が公表したサプリメント法制化に関する意見書は、製造と表示における「二重許可制」を柱に、既存制度の抜本的な見直しを提言する内容だった。制度の統合と安全性の確保を狙ったその設計は、サプリメントを食品と医薬品の中間に位置付けるという「三元論」への道を示唆するものである。一方で、その背景には、過剰なリスク回避や消費者の自己決定権軽視といった深刻な課題が潜む。制度改革が真に消費者の利益につながるものであるために、何が問われ、何が欠けているのか。長年、リスク評価と制度設計に携わってきた唐木英明東京大学名誉教授が問題の核心を読み解く。
経済とイノベーションへの影響
二重許可制がもたらすのは、単なるコスト増だけではない。市場に多様な製品を供給し、イノベーションの源泉となってきた多くの中小企業にとって、この法案は事実上の「退場勧告」に等しい。彼らは、トクホ型の許可申請プロセスを乗り切る資本力も、専門的な薬事部門も持たない。結果として、市場は大手食品・製薬メーカーによる寡占化が進む可能性が高い。
高コストで不確実性の高い「表示許可」制度は、企業の研究開発意欲を著しく削ぐことになる。リスクを取って新しい成分や処方の開発に投資するよりも、すでに許可された少数の「安全な」成分を使い回す方が合理的という判断が支配的になるだろう。その結果、市場は画一的で代わり映えのしない製品で溢れ、消費者の多様なニーズに応えるダイナミズムは失われる。
この分析から導き出されるのは、皮肉な結論である。日弁連案は、消費者保護という高邁な目的を掲げながら、その実、消費者の不利益につながりかねない。安全という単一の価値を絶対視するあまり、消費者が享受すべき「アクセス(入手しやすさ)」「チョイス(選択の自由)」「アフォーダビリティ(手頃な価格)」という重要な価値を犠牲にするからだ。競争が失われた市場では、価格や品質、イノベーションに対するプレッシャーが弱まり、長期的にはその不利益もまた消費者が被ることになる。これはまさに、「角を矯めて牛を殺す」ことに他ならない。
サプリメントの定義
日弁連案では、「サプリメント食品」の定義を、「通常の食事を補完するものとして摂取される食品で、天然由来の抽出物であって分画、精製、化学的反応等により本来天然に存在するものと成分割合が異なっているもの又は化学的合成品を原材料とする錠剤、カプセル剤、粉末剤、液剤等の食品」としている。
「明らか食品」と「サプリ形状」の両者をサプリメントとする案だが、サプリ形状の規制は、2001年に緩和された規制の復活であり、多くの健康被害や経済的被害を出しているサプリ形状の「いわゆる健康食品」を市場から排除することに繋がる意義がある。
他方、明らか食品形状のサプリメントの製造工程へのGMPの義務化の可能性や、機能性表示食品に含まれる「天然」の農水畜産物をサプリメントから除外することについては検討を要する。
消費者視点の欠如
日弁連案の最大の問題点は、その設計思想が一つの側面に偏っていることである。消費者を規制の客体、すなわち「保護されるべき対象」としてのみ捉えており、サプリメントを自らの健康管理のために自主的に選択し、利用する主体としての消費者の姿が想定されていないのだ。この「消費者視点の欠如」こそが、日弁連案の限界である。
この限界は、日弁連案の中で唯一、消費者教育に言及した箇所に象徴的に表れている。そこでは、「サプリメント食品の過剰摂取等を防止し、健康的な食生活等の健康維持・増進に関する知識の向上を図るための注意喚起及び啓発活動の充実」を求めている。ここで用いられている「過剰摂取の防止」「注意喚起」といった言葉は、リスクを回避し、使用を抑制することに主眼を置いた語彙である。他方、そこには、消費者が自らの健康状態を把握し、不足する栄養素を補うために、あるいは特定の健康目的を達成するために、どのようにサプリメントを賢く、効果的に活用できるか、という積極的な利用を支援する項目は皆無である。
日弁連案は、日本のサプリメント規制が長年抱えてきた、行政による父権主義的なリスク管理思想を、新たな法律の形で固定化しようとするものとも言える。それは、サプリメントは本質的にリスクを伴うものであり、その利用は最小限に留めるべきという暗黙の前提に基づいている。この前提自体を問い直し、安全性確保という土台の上に、消費者の自己決定を支援する、より均衡の取れた規制パラダイムへの転換が必要である。
情報提供の視点の欠如
市場調査データは、消費者がサプリメントを明確な目的意識を持って摂取している実態を明らかにしている。サプリメントを選ぶ動機として、「健康維持・増進」が最も多く、次いで「美容効果」、「生活習慣病予防」などが挙げられていることは、消費者が自らの健康課題を認識し、その解決策の一つとしてサプリメントを選択していることを示している。市場規模が1兆2,000億円を超え、安定的に推移していること自体が、これが一過性のブームではなく、生活に深く根付いた健康行動であることを物語っている。
このように、サプリメントは事実上、医薬品と一般食品の中間に位置するセルフメディケーションの中核的なツールとして機能し、消費者は、日々の食事だけでは補いきれない栄養素の補充や、特定の身体機能の維持を期待して、製品を選択・利用しているのである。
このような現実にもかかわらず、日弁連案には、サプリメントが担うセルフメディケーションの役割を公的に認識し、支援するための規定が一切含まれていない。提案されているのは、製造、品質管理、表示、広告といった生産・流通段階の管理手法のみであり、消費者が購入した後に「どのように賢く、安全に、そして効果的に利用するか」という問いに対する答えは何も示されていない。
行政が適切な利用に関する情報提供という責務を放棄することで、消費者は信頼性の低い情報源に頼らざるを得なくなる。実際に、消費者がサプリメントに関する情報を得る手段は、「ネットショップでの商品情報や口コミ」や「インターネット広告」が上位を占める。行政が作り出した情報の空白地帯を、商業主義的な情報や根拠の薄い口コミが埋めているのが現状である。
(つづく)
<プロフィール>
唐木英明東京大学名誉教授(食の信頼向上をめざす会代表)
1941年生。農学博士、獣医師。1964年東京大学農学部獣医学科卒。テキサス大学ダラス医学研究所研究員を経て、87年に東京大学教授、同大学アイソトープ総合センター長を併任、2003年に名誉教授。日本薬理学会理事、日本学術会議副会長、(公財)食の安全・安心財団理事長、倉敷芸術科学大学学長などを歴任。専門は薬理学、毒性学、食品安全、リスクコミュニケーション。これまでに瑞宝章(中綬章)、日本農学賞、読売農学賞、消費者庁消費者支援功労者表彰、食料産業特別貢献大賞など数々の賞を受賞。
「食品安全ハンドブック」丸善2009、「検証BSE問題の真実」さきたま出版会2018、「鉄鋼と電子の塔(共著)」森北出版2020、「健康食品入門」日本食糧新聞社2023、「フェイクを見抜く(共著)」ウェッジ2024など著書多数。
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