危ういサプリ実名リストを読む(前) 【寄稿】東京大学名誉教授 唐木 英明
9月5日発売の『週刊文春』(9月12日号)に「京大論文で分かった危ういサプリ実名リスト」と題する記事が掲載された。記事の背景にあるのは、今年2月に発表されたSomeko(染小)らの論文(以下、週刊誌に合わせて「京大論文」と記載)である(H. Someko et al. J Clin Epidemiol 169 (2024) 111302)。機能性表示食品の根拠論文の質に疑問を投げ掛けたものだが、その裏側にあるのが科学の品質という深刻な問題である。
科学の品質保証
医薬品やサプリの効果を調べることは簡単ではない。例えば、ある物質を頭痛がある人に飲ませたら30分後に痛みが治まった。この結果から「鎮痛作用がある!」と喜ぶのは早すぎる。確かにこの物質の薬理作用で痛みが治まった可能性があるが、痛みが自然に治まった可能性もある。鎮痛剤と信じて飲んだため心理作用で痛みが治まったのかもしれない。これらの可能性を検証するために行われるのがプラセボ対照ヒト臨床試験(RCT)だ。
このRCTで正しい結果を得ることも簡単ではない。被験者を多数集めて、プラセボ群と試験群に分けるのだが、被験者の性別、年齢、体調などには大きな個人差がある。被験者数を増やすことで個人差の影響を小さくするのだが、充分な数を集められないこともある。集まった被験者を2群に分ける時に、両群のさまざまな測定値が同程度になるようにしないと比較にならない。
そこで作られたのがRCTにおいてバイアスが生じる可能性がある以下の5つの領域を示したCochrane(コクラン)バイアスリスク検証ツールである。
①ランダム化プロセスにおけるバイアス、②意図する介入からの逸脱によるバイアス、③結果データの欠損によるバイアス、④結果の測定におけるバイアス、⑤報告した結果の選択によるバイアス。この5つのバイアスをなくすことで初めてRCTが成立する。
さらに、Consort(コンソート)声明と呼ばれるRCTの質の向上のためのガイドラインも作られ、そこには論文に記述すべき項目をリスト化してある。最近改訂された機能性表示食品届出ガイドラインではPRISMA(プリズマ)声明(2020)の順守を求めている。これは届出資料に多用されているシステマティック・レビュー(SR)とメタアナリシスの質の向上のためのガイドラインであり、取り上げる論文の選定、評価、統合方法に関する報告項目を提示している。
このような声明やガイドラインが作られた理由は、科学技術の応用が盛んになって科学の不正やバイアスが生活に悪影響を及ぼす可能性が大きくなったためである。例えば、高血圧治療薬ディオバンの効果を調べた5つのRCTで、効果を大きく見せるために統計解析を不正に操作したことが検証の結果明らかになり、論文は取り下げになった。このような不正やバイアスを防ぐために声明やガイドラインが必要になったのである。
バイアスや不正を防ぐ方法は声明やガイドラインを遵守する研究者の倫理観、論文の査読者による審査、論文を読んだ研究者による検証、そして内部告発であり、研究デザインや主要測定項目を事前に登録しておき、結果を見てから都合よく変更することを防ぐ手段も講じられている。科学の仕組みは仮説・証明・検証のループが回転することであり、検証の繰り返しにより仮説の正しさが証明されるとともに、不正やバイアスが明らかにされる。このような仕組みが科学の品質を保証しているのだが、サプリ関係の一部の研究においてこのループが正常に回転しているのかが問われている。
京大論文の指摘
京大論文では、5つの大手医薬品開発業務受託機関(CRO)が実施した726件のRCTから32件を選び出してその質を評価し、その結果をどのように記載しているのかを調査している。調査の方法は前述のCochraneバイアスリスク検証ツールを使って、5つの領域のバイアスについて有無を判定している。また、特に「報告した結果の選択によるバイアス」に注目して「スピン」の有無を調査している。
「スピン」とは、結果の解釈を歪め、データによって裏付けられるよりも好ましい結論を示唆する手法としている。「要約」については、本文に記載された主要な結果を省略し、あるいは有意差が得られた副次的結果やサブグループ分析のみを報告していた場合である。「要約の結論」については、有意な結果のみに基づく、あるいは有意でない主要な結果を無視した場合である。「本文」においては、有意差がある結果にのみ焦点を当てる、その結果のみをグラフ化する場合であり、「本文の結論」の評価は、「要約の結論」の評価と同様に行っている。
その結果、72%のRCT論文において、「選択的な結果報告」による高いバイアスリスクが確認された。「要約の結果」では72%、「要約の結論」では81%、「本文の結果」では44%、「本文の結論」では84%に「スピン」が見られたとしている。
「競争的資金」獲得のために誇張も
これまでもRCT論文のバイアスの調査はあったが、「スピン」という観点での調査は初めてということで京大論文は注目を浴びた。筆者の感覚でも、確かに、科学論文にはバイアスや「誇張した記述」が少なくない。その理由の1つは「出版バイアス」、すなわち有効という結論の論文は採択されて出版されるが、無効という結論の論文は出版されにくいことである。また、もし出版されても注目を浴びることはない。だから無効なものやわずかに有効なものを非常に有効であるように装う論文が見られる。
もう1つの理由は研究費の確保である。筆者の研究分野は基礎薬理学であり、動物実験(in vivo)と細胞や遺伝子を材料にするインビトロ(in vitro)実験が主な手法だが、1つの論文を書くためには1千万円程度の研究費が必要である。そしてその研究費は、文部科学省や厚生労働省の「競争的資金」を用いることになる。すなわち、研究の目的とこれまでの研究成果を記載して申請し、審査員の審査を受けて、合格したら給付を受ける資金である。その合格の要件である「実績」と「今後の見通し」には「誇張した記述」が存在する。そのような仕組みの中で、論文に多少なりとも誇張が常態化していると言っても過言ではない。
もちろん、これが望ましい風潮ではないが、多くの申請者が「誇張した記述」をする中で、自分だけが控えたら研究費を獲得できないという不安が起こる。この状況をどのように改善するのかは科学界全体の合意の上で研究倫理教育と厳しい査読と論文の検証を続けていくしかない。
(つづく)
<唐木 英明 氏プロフィール>
農学博士、獣医師。1964年東京大学農学部獣医学科卒業。テキサス大学ダラス医学研究所研究員を経て、87年に東京大学教授、同大学アイソトープ総合センター長を併任、2003年に名誉教授。日本薬理学会理事、日本学術会議副会長、(公財)食の安全・安心財団理事長などを歴任。現在は食の信頼向上をめざす会代表。専門は薬理学、毒性学、食品安全、リスクコミュニケーション。
これまでに瑞宝章(中綬章)、日本農学賞、読売農学賞、消費者庁消費者支援功労者表彰、食料産業特別貢献大賞など数々の賞を受賞。
<著 書>
「暮らしの中の死に至る毒物・毒虫」講談社2000、「食品の安全・危険を考える」食生活 2003.7-8、「全頭検査で「安心」というBSEの誤解」週間エコノミスト2004.6.8、「「全頭検査」でBSEは防げない」Voice2004.8、「食の安全と安心を守る」学術会議叢書2005、「食品安全ハンドブック」丸善2009、「牛肉安全宣言」PHP出版2010、「食品の放射能汚染とリスク・コミュニケーション」医学のあゆみ2012.3、「福島第一原子力発電所事故の農業・畜産に及ぼす影響を考える」遺伝66(1)2012、「機能性表示食品-経緯と問題点-」食品と開発50(12)2015、「検証BSE問題の真実」さきたま出版会2018、「鉄鋼と電子の塔(共著)」森北出版2020、「健康食品入門」日本食糧新聞社2023、「フェイクを見抜く(共著)」ウェッジ2024 他多数
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