食品と科学に「プラセボ対照試験」に関する考察 唐木英明東大名誉教授が寄稿
東京大学名誉教授で食の信頼向上をめざす会代表の唐木英明氏が執筆した「プラセボ対照試験」に関する考察が、『食品と科学』2023年1月号(VOL65 NO.1)に掲載された。
「食品機能の新たな試験法について」というタイトルで、書き出しはこうだ。
「健康食品の市場規模は約1兆4,000億円と言われる。風邪薬や胃腸薬のように処方箋なしでだれでも購入できる一般用医薬品の販売金額が約1兆1,000億円なので、それ以上に多くの人が健康食品を利用していることがわかる。購入の理由は健康食品の効果に期待し、実際にその効果に満足していることと推測される」(ママ)。
プラセボ対照試験に問題?
にもかかわらず、健康食品に対する批判的な見方は絶えず、2020年の食品衛生法の改正により特別の注意が必要な成分の指定や被害情報の届出が義務化されるなど、安全性に問題があるという理由で規制は強化されている。
もう1つの理由として「効果の弱さがある」と唐木氏は指摘。医薬品ではない健康食品が唯一効果効能を表示できる保健機能食品(特定保健用食品、機能性表示食品)に課している試験法「プラセボ対照試験」に問題があるのではないかと問題提起している。
医薬品の臨床試験は比較対照試験が原則とされている。試験の世界基準を決めているのが医薬品規制調和国際会議で、日本政府はその決定を全面的に採用。そのICHガイドラインE-10「臨床試験における対照群の選択とそれに関連する諸問題」(2000年)を、厚生労働省は審査管理課長通知(2001年)として発出しておりプラセボ対照試験の有用性を支持している。
健康食品の効果の弱さを批判する典型的な意見として「効果があれば医薬品になっているはず」という指摘があるが、なぜ多くの人がその効果を実感して継続摂取しているのか? 唐木氏はこの矛盾を解くカギの1つがプラセボ対照試験にあると考えている。
心因作用が大きな疾病にプラセボ対照試験は不適
医薬品の臨床試験では、物質作用と心因作用を分離することが求められている。その目的で半世紀以上前に考察されたのがプラセボ対照試験だ。
プラセボとは有効成分を含有していない偽薬のこと。それだけを摂取しても何の効果もないが、実際の試験では試験薬とプラセボのどちらかを摂取することになる。被験者はどちらを摂取するかは知らされないが、有効だという情報の下にプラセボを摂取すれば効果が現れる。これが「心因作用」。実際の薬の効果は「物質作用」。時間経過の中で症状を改善または悪化させる自然の進行が「自然変化」とされる。
これらを加算したものが医薬品の効果とされ、心因作用と自然変化を加算したものがプラセボの効果とみなされる。「そのような『相加』が成り立てば、試験物質の効果の測定値からプラセボの効果の測定値を差し引くことで物質作用の大きさが計算できる」(唐木氏)という。
ところがこの手法だと、「ひざの痛み」などの主観的要素の強い(心因作用が大きい)痛みにおいては、物質作用があるはずの鎮痛剤でプラセボとの有意差が得られない。つまり、相加が成立しない場合があるとされている。
唐木氏はこれを「プラセボ対照試験の限界」と呼んでいる。
同氏は、ICHガイドラインE-10および厚労省課長通知のQ&Aを紹介し、「心因作用が大きい、あるいは医薬品の治療効果が小さいときには、有効である医薬品であってもプラセボ対照試験で統計的有意差が得られない例があること、これまでの試験結果から薬剤効果を測定できるという証拠が得られていない場合には、プラセボ対照試験を行うのではなく、『適切に計画・実施された対照試験』を実施すればよく、さらに複数の探索的・検証的試験を根拠にすればいい」と説明する。
通知では、臨床試験の対照群として使用できるものとして「プラセボ」、「無治療」、「異なった用量又は用法の被験治療」、「被験治療とは異なる実薬による治療」の4つが挙げられている。
健康食品に「相加」は成立しない
ASCON科学者委員会では、制度発足以来、機能性表示食品の届出資料の科学レベルの評価を行っているが、そのほとんどでプラセボ群との差は極めて小さく、中には統計的有意差が得られていないものもあるという。これらのことから唐木氏は、「健康食品は一部の医薬品と同様に『相加』が成立しない例である可能性が極めて高い」とし、「プラセボ対照は健康食品の臨床試験には不適切ではないか」と考えるようになったという。
そして唐木氏は、厚労省の課長通知も例に引き、健康食品として適当なのは「無治療」とし、無処置対照試験の採用を推奨する。
機能性表示食品「ガイドライン」と「Q&A」に矛盾?
唐木氏はこうも述べる。
「機能性表示食品の届出等に関するガイドライン」には、特定保健用食品の試験方法に拠らなくても機能性の実証が可能な場合については、科学的合理性が担保された別の試験方法を用いることができるとの記載があり、その方法として「対照(プラセボ、何もしない等)」との記述があり、課長通知と整合性がある、と説明。
にもかかわらず、消費者庁が全ての機能性表示食品でプラセボ対照試験を採用している大きな理由として「機能性表示食品に関する質疑応答集」(Q&A)の存在を指摘。Q&Aの問45には、「機能性について試験食摂取群とプラセボ食摂取群との群間比較の差(有意差検定)で評価する必要はあるか」との問いに対し、「最終製品を用いた臨床試験(ヒト試験)を科学的根拠とする場合は、試験食摂取群とプラセボ食摂取群との群間比較により肯定的な結果が得られる必要がある」と記されていると首をかしげている。
プラセボ対照の否定は「不都合な真実だった」(唐木氏)
寄稿文で唐木氏は、「薬理学者である筆者にとって相加問題は臨床試験のゴールデンスタンダードであるプラセボ対照試験を否定されかねない『不都合な真実』だった」と告白。問題を指摘されても「それは例外だ」と主張して本気で検討することはなかったという。相加問題に関する論文が少ないのは「他の薬理学者も筆者と同じ考え方だからだろう」との持論を述べている。
また、機能性表示食品のQ&Aにおける記載についても「臨床試験と言えばプラセボ対照試験という先入観があまりに強く、それ以外の対照群の採用に抵抗感があるためと考えられる」としている。
最後に同氏は、「もし無処置対照に何かの問題があるにしても、プラセボ対照では健康食品のあるべき作用が検出できない可能性があるという深刻な問題を考えると、無処置対照を排除するものではなく、問題を解決する方法を考えるべきであろう。試験法変更の道のりは遠い」としながらも、プラセボ対照の欠点を十分に理解し、「プラセボ対照しか認めてもらえない」という関係者の思い込みを打破し、無処置対照を使用した論文を積み重ねることにより「『健康食品には効果がない』といういわれない悪評を追い払うことができる」と結んでいる。
唐木氏は現在、「健康食品試験法研究会」を設立し、有識者との話し合いを進めており、すでに2回目の会合を終えている。今後、専門家チームを設置して関係機関との交渉に臨む予定だ。