エビデンスの質、その判断基準(後) 【機能性表示食品特集】唐木英明氏の視線と視点から考える
プラセボ対照試験の限界を知ってほしい
唐木氏は、機能性表示食品のエビデンスの質、論文の質に対して疑問を抱いている。疑問を外に向けて発信することもある。それに対して筆者は、「機能性表示食品のエビデンスの質を医薬品の土俵で語ってほしくない」とずっと思ってきた。
しかし今回の取材で分かったのは、唐木氏が「質」に対する疑問を投げかける背景には、そもそも臨床試験を行う目的、つまり、何を測定するのかに対する強い疑問があったということ。医薬品の土俵で論じているわけでもなかった。医薬品と同様のプラセボ対照試験を健康食品で行うことについて次のように語る。
「全てが、とは言いません。ただ、医薬品に比べて効果の小さな健康食品の試験を健常人で行うため、プラセボ対照試験で物質作用を検出できないことが多い。プラセボ効果が大きい場合には特に差が出なくなる。だからと言って効果がないわけではない。継続して使い続けている人は効果を実感しているはずです。
私だって、できるのであれば医薬品と同じようにプラセボ対照試験を使って物質作用を測定したい。しかし、原理的にそれができないことが多い。できないことを要求されても困るし、測定できないものを測定しようとしているから、論文の質の低下というおかしなことが起こるのです。プラセボとの間に有意差を出すことが原理的に不可能な場合もあるのに、何とか出そうとして統計の不適切な使用になっていく。
科学には科学の作法がある。その作法に従わないものは、研究論文として、エビデンスとして、認められない。統計的な有意差の求め方にも作法があります。統計法の原則を厳格に守らなければならない。試験で得られた測定値を大事にするということです。数値をいじるようなことがあってはならない。それは試験結果の改ざんに当たる可能性もあります。
その意味で、エビデンスや論文の質に関する基準とは、医薬品であろうが、健康食品であろうが、全く同じでないとダメなのです。いずれも科学の作法に従っている必要がある。しかし、特定保健用食品(トクホ)にせよ、機能性表示食品にせよ、健康食品に求められる科学の質は医薬品より低くても構わないという誤解がある。
条件付きトクホでは、有意差水準が原則である5%から10%に緩和されているし、機能性表示食品の届出の約15%を占めると見られていますが、介入群とプラセボ群それぞれの変化量を比較してプラセボとの間で有意差を得ることも本来、科学の作法からは外れている。でも、だからといって論文がリジェクトされたり、エビデンスに対する疑義を指摘されたりすることはほとんどない。そもそも行政がそれを許容している。どうして許容されているかといえば、プラセボ対照試験を健康食品で行うと有意差が検出できない場合が多いからです」。
科学には作法がある 健康食品も例外ではない
本稿の論点である機能性表示食品に求められるエビデンスの質に関する基準。それに対する唐木氏の答えが出た。それは上のコメントにある「科学の作法」である。その作法に従わなければ、「インチキ科学」であると後ろ指をさされ、表示する機能性に関する科学的な根拠のあることを前提とするトクホや機能性表示食品の「根本が崩れて終わってしまう」と警鐘を鳴らす。
しかし、そうは言っても、である。機能性表示食品のエビデンスのほぼ全てが「有意差が検出できない場合が多い」プラセボ対照試験に依拠している。依拠しているというよりも、それがほぼ義務化されているため依拠するしかない。その中で、科学の作法を求めるのは酷なのではないか。それに、機能性表示食品を求める消費者は、そのエビデンスに対して科学の作法まで果たして求めているだろうか。
「プラセボ対照試験の不都合な真実を無視し、その問題を指摘されると『それは例外だ』と主張していた以前の私であれば、科学の作法に従わない論文を全てリジェクトするでしょうね。しかし今の私は、健康食品の事情をよく理解しているからそうはしない。現実に合わせる必要がある。そうしなければ大混乱が起きてしまう。少しずつでもステップアップしていってもらうためにも、不適切な点は注意するけれど、現状を認めざるを得ない。それが今の私の態度です。
ただ、そうはいっても、大量に設定した評価項目の中で1つか2つ有意差が付いたとして、それが統計学的な『揺らぎ』ではないことを検定することもせず、効果があります、というようなものは科学の作法に照らしてどうか。トータリティ・オブ・エビデンスの観点からも少し強く言うこともあります。
他方、消費者は全く別の判断基準を持っています。研究論文の質を購入の参考にする消費者はほとんどいない。論文とは無関係に、効果があると思えば飲み続けるし、効果がないと感じればすぐにやめる。研究論文やエビデンスの質がどうあれ、お金を支払う以上、効かないものは買わないはず。それでいいのではありませんか?安全性さえ担保されていればよく、あとは消費者の選択に任せればいいと思っています」。
だとすれば、機能性表示食品のエビデンスの質を評価したり、それを高めていく努力をしたりすることの社会的な意義はどこにあるのだろうか。
「それは科学の品質管理の問題。私は科学者です。だから科学を貶めてほしくない。科学の作法に従うことができないのであれば、科学から離れてほしいし、研究論文なんて発表してもらいたくない。科学をインチキの手段に利用してほしくないのです。混乱する社会で唯一多くの人が正しいと認めるのが科学です。そんな重要な働きを持つ科学全体に対する信頼を貶めることは、社会全体にとってなんのプラスにもならない。だから少しずつでいいから質を高めていってもらいたい。科学者として、そういうモチベーションで取り組んでいます。さらに言えば、医薬品だけでなく健康食品についても、科学の作法に従った試験で有意差が得られるような適切な試験法に変更すべきと考えています」。
無処置対象試験、質を高める助けにも
プラセボ対照試験の不都合な真実を直視するようになった唐木氏は今、それに代わる健康食品の有効性評価方法として、「無処置対照試験」を提唱している。
プラセボ効果が大きく出現し、物質作用が過少評価されてしまう可能性のある作用領域に関しては、プラセボではなく無処置、つまりプラセボを摂取しない(何もしない)群を対照とする臨床試験を行い、細胞や動物を使った前臨床試験で有効性が確認された物質作用だけでなく、心因作用も含めて健康食品の効果を評価していこう、という提案だ。これにより、生鮮食品や一部の加工食品など、プラセボを作ることのできない食品が存在する問題も図ろうとしている。
「プラセボ対照試験を義務化している限り、健康食品の研究論文、エビデンスの質は劣化し続ける」と唐木氏は懸念を語る。物質作用と心因作用をトータルで測定することを目的にした無処置対象試験はその質を、科学の作法に従うかたちで高めていく助けになる、とも話している。
(了)
【聞き手・文:石川太郎】
唐木英明氏プロフィール
農学博士、獣医師。1964年東京大学農学部獣医学科卒業。テキサス大学ダラス医学研究所研究員を経て、87年に東京大学教授、同大学アイソトープ総合センター長を併任、2003年に名誉教授。日本薬理学会理事、日本学術会議副会長、(公財)食の安全・安心財団理事長などを歴任。現在は食の信頼向上をめざす会代表。専門は薬理学、毒性学、食品安全、リスクマネージメント。
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